フリーメイソンとゴルフ 摂津茂和コレクション&ゴルフ5番目の愉しみ引用

  • 2015年03月02日

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今日は、西野ゴルフセンターでのレッスン終了後、背中の張りが消えないのでアスリート治療院に行き、治療してきました!
院長に1週間は練習をしないで安静に!!と言われ、家でじっとしようと思います!!

という事でゴルフの歴史を「摂津茂和コレクション」と「ゴルフ五番目の愉しみ」を引用してご紹介してみます。

なぜゴルフが閉鎖的で、クラブハウスに入るとやや独特ともいえるしきたりや排他的なメンバーシップ(今はあまりそういうゴルフ倶楽部は流行らなくなっていますが)スタイルをとっているかという理由を英国のフリーメイソンとゴルフの関係からお話していきましょう

ゴルフがスコットランドで発祥し、イングランドに伝わり一気に英国に広がったという事は、かなりの方々が知っている事と思います
ロンドン(イングランド)にゴルフが伝わるきっかけというのは、
スコットランド王ジェームズ6世が1603年エリザベス女王の後を継いでイングランド王ジェームズ一世となりロンドンに住むところから始まります。

ジェームズ一世は、そこでゴルフがしたくなり、ブラックヒースの公園に7ホールのゴルフコースを作ります。

そして1766年ロイヤルブラックヒースゴルフ倶楽部が創立します。

スコットランドからロンドンに住むようになったジェームズ一世と共に、フリーメイソンもロンドンに住むようになります。しかしイングランド人とは交流せず独自の組織を貫きます。

そこでフリーメイソンとは、どういう存在か

それは中世から続いてきた石工のギルド組織であります。仕事上の技術的な秘密を守るため閉鎖的で秘密結社の性格が強く、ソロモンの時代から神殿建設にたずさわり、中世の欧州では宮殿や教会の建設を行っていました。

フリーメイソンたちは、クラブハウスで女性を排除していろいろ情報交換や自分のプレステージ(地位、品位)を確認していました。そしてより食事を美味しく楽しめるために運動をしようと考えゴルフを楽しんだのです。

イギリスの伝統的ゴルフ倶楽部というのはこの閉鎖性と排他性が特徴なのはこのフリーメイソンの影響というわけです。

エジンバラのロイヤル・バージャス・ゴルフ倶楽部ではキャプテンは年に3人、握手をするだけで新会員を入会させる事が出来る特権やオノラブルカンパニーの最近までの新会員の決定方法は、会員に閉じられた箱に手を入れ木製のボールを「イエス」または「ノー」の枠に入れて賛否を決めるなど全てフリーメイソンの慣習を色濃く残しております!

そして、このフリーメイソンの組織力が、ゴルフがオランダではなくイギリスで発展した理由なのではないかと推測されます!

ちなみにHARADAGOLFは排他的でも閉鎖的でもありません!!
ゴルフで困っている方、悩んでいる方、いつでも入会お待ちしております!!


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マナーの啓蒙家 ロード・リデル

  • 2015年03月02日

今日は書籍の紹介ではないのですが、昔読んだ夏坂健の本の中でゴルフのマナーについて、貴族から始まり大衆へと広がっていくゴルフの歴史の中で必ず起こりえる事柄を興味深く語っている内容なのでブログにて書いて見ます。

19世紀から20世紀にかけてゴルフがイングランドに普及し労働階級にもゴルフブームが巻き起こりました。
ロンドンの新聞「ニュース・オブ・ザ・ワールド」社主
ロード・リデルは12のアーティザンゴルフクラブを集めてアーティザン・ゴルファーズ・アソシエーションを結成します。
3年後には60クラブが加わる巨大組織に発展します。

しかしアーティザン階級の方々は少々気性が荒く、マナーに欠ける言動も目立ちました。

そこでリデルは言います
「諸君!人間は礼儀正しく挨拶するから犬ではなくて人間なのだ。特にゴルフは赤の他人とクラブを交え一日の大半の時間を共に過ごすゲームである。これは想像以上に礼儀が要求される状況であり、マナーの習得は、ショットの勉強より優先すべきだと私は考える。異論のあるものは前に出なさい!」

さらに
「諸君は、この偉大なゲームを誤解しているようだ。
ゴルフがスコットランドの草原に根付いたのは、多分西暦1300年代後半だろうと思う。その日から現在まで隆盛を極める事はあってもただの一度として人々に飽きられた事がない。その理由について考えてみようではないか。私が思うにゴルフという知的なゲームは暗喩と皮肉に富み私たち人間の脆弱な部分を揶揄し、プレーヤーの内面を鋭くえぐって人間的資質の良否を試しにかかるようだ。

つまりゴルフとは、大人になってから始めて試される常識の為のリトマス試験紙と考える。スコアなど論外!ゴルファーが残すのはプレーの後味だけである。

ゴルフの真髄とは何か?それはゲームに臨んで一人の審判もいない事だ。つまり自分の言動の全ては自分一人に帰するのが太古からの決まり。持てる常識の全てを駆使した上、その結論に全責任を負うのがゴルフの特徴である。ところが、ゴルフほど万事にわたってごまかしやすい機会に恵まれたゲームも稀だろう。

ゆえにまたゴルフほど欺瞞を犯した者が激しく軽蔑されるゲームも他に例を見ない。

審判不在、これは、お互いを信用することで成り立つ話である。お分かりかな?

自分のスコアなどちっぽけで取るに足らない問題であって、ゲームに臨んだ人間は、審判不在の状況に身を置いて他から信用を得なければならない。これがゴルフの真髄であり、ゆえにゴルフでは、灰色的行為のすべてが有罪とされる。
くれぐれも申し上げるが、人から疑惑の念を持たれるような行動は厳に慎まなければならない。公明正大、自分を絶対に騙さないのがゴルフである。」

harada golfの生徒さんはカッコよくてスマートなゴルファーを目指しましょう!!

まずは、ルールよりマナー!

1774年 13カ条のゴルフルールが出来ました!

13カ条もあれば大抵の事態は収拾できると賢者たちは考えたのです。
審判を置かず、自己裁定でプレーするからこそこのゲームは誇り高くかつ興味が尽きないと私は思います!!

さあ今年もゴルフを頑張りましょう!!


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今日はゴルフの歴史 グリップの歴史

  • 2015年03月02日

今日は、ゴルフでとても重要なポイントであり、我々レッスンプロもまず初めにレクチャーする項目であるグリップの歴史を少しお話いたします。
オーバーラッピンググリップ
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いまプロゴルファーも含め最もポピュラーなグリップがオーバーラッピンググリップという左の人差指の上に右手の小指を乗せる握り方であります。

私も21年この握りを採用しておりますが、この握りを発明するまでにはいろいろな苦難の研究の結果であるというお話だと皆さんお思いでしょうが、そうではないのです。

このグリップの別名はバードングリップと言われております。

その名の通り、ハリー・バードンというイギリスの伝説のプロゴルファーでございます。

19世紀後半から20世紀前半に活躍したJ.h.テーラー、ジェームズ・ブレイド、そしてハリー・バードンは元祖ビック3といわれ、古代ローマの3頭政治ポンペイ、シーザー、クラッサスになぞらえてトリアンビレートといわれいました。

バードンがこのグリップをする前までは、プロを含めナチュラルグリップ(ベースボールグリップ)でゴルフをしていました。

バードンの自伝の中で彼はこう言っております。
「私は故郷のジャージー島で7歳(1877年)の時からキャディーをやったが、次第にゴルフが面白くなって島に多く繁茂しているブラックソーン(バラ科)の灌木からクラブの形に似た手ごろの幹を切ってきてそれでスイングのまねごとをした。ところがブラックソーンの幹にはトゲが多く普通に握ると両手の親指がトゲにかかって痛いので無意識に親指の棒の真上にずらしておくようになった。すると右手の小指が自然に左手の人差指の第一関節の上にまたがるようになった。」

「後年、本当のクラブでボールを打つようになった時、私も最初はみんながするようにナチュラルグリップでやっていたが、それではどうもうまくボールをコントロールできないので、少年時代にブラックソーンの棒切れを握った方法をもう一度試してみた。そうしたらボールが初めて私の思うようにコントロールできたのである。」

この現代で最も偉大なグリップであるオーバーラッピングリップはこのように生まれました。

バードンはグリップの開発において、苦難の練習というのはもちろんありました。
しかしその中で突然やってくる、ひらめき!突然やってくる開眼!これがゴルフの技術を発展させてきた要因ではないでしょうか!そしてそのひらめきは学術やらなにやらという堅苦しいものではなく偶然という名の必然!過酷な練習の中の遊び心から生まれるのではないかと考えます。

最後にパッティングのグリップで最もポピュラーであるリバースオーバーラッピングの誕生の由来を紹介いたします。
リバースオーバーラッピング
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このグリップはパッティングのうまさでは歴代プロゴルファーのなかでも1,2を争う1900年初頭に活躍したプロゴルファー、ウォルター・トラビスが、開発したといわれいております。
「パットと制する者はゴルフを制する」という名言を残したトラビスは、このグリップについてオーバーラッピンググリップのハリー・バードンにいいました
「実は私も最初はあなたの創案したオーバーラッピンググリップをしていたのですが、ある冬に左手の人差指が霜やけにかかりましてね。その上に右手の小指をかけるとひどく痛いのであべこべにしたのが動機です」

皆さん!頭を柔らかくしてゴルフの練習に取り組むとまだまだ開眼できます!!
さあ練習場に向かいましょう!!


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騎士道精神 フレディ・テイト

  • 2015年03月02日

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今日はオフでございます!!
んでもって、またまたブログのネタがないので今日はゴルフの歴史上の人物のご紹介をしたいと思います!

皆さんは、フレディ・テイトというゴルファーをご存知でしょうか?
1870年生まれ
スコットランド、エジンバラ生まれのアマチュアゴルファーでございます。

ボーア戦争で戦死してしまい、ゴルフ界は偉大なプレーヤーを失いましたが、数々の伝説を残す名プレーヤーである事がいろいろな記録からわかっております。

テイトは5歳でゴルフを始め、優れた才能を発揮し、12歳でセントアンドリュースのオールドコースで100を切っていました。

テイトは1891年、始めて全英オープンに出場し、1896年、サンドウィッチで催された全英アマで見事優勝を飾っております。

と経歴はこれくらいにして、なぜテイトの人となりがスコットランド人に人気があったかというとそこには、騎士道精神がありました。

当時、ゴルフはストロークプレーではなくマッチプレーが主流でございます。

そこにあるのは、誰よりも少なく上がる精密機械のようなゴルフではなく、人と人とが一対一でぶつかり合う人間模様を背景にしたドラマであるのです。

そしてそのゴルフのマッチプレーにおける人間ドラマをお話しするときにフレディ・テイトは欠かせない存在であります。

例をいくつかご紹介いたします。

スコットランドのダンディで行われた試合では、自分のショットが大きく曲がり観客の方へ飛びます。しかし観客の傘に当たってピンそば50センチのところで止まります。

ところが次に打った相手のショットも大きく曲がり観客の傘に命中します。
そして反対にボールは深いラフの中へ入ってしまいます。
「もう一度打ちたまえ」とフレディがいうと、相手は「断る!ゴルフに幸運と不運はつきものだ!」と申し出をつっぱねます。するとフレディはグリーンに上がって、自分のボールを拾い上げ、ギブアップを宣言したのです!

まだまだこの手の例は枚挙にいとまがありません

1898年全英アマでのフレディ・テイトとミュア・ファーガッソンとの決勝戦のお話です
二人はオールスクェアで競り合い、第一ラウンドの14番ホール509ヤードのロングホールでファーガッソンのティーショットがひどくスライスして、隣の3番ホールのグリーンに乗りました。そこで規則によりグリーン外にドロップするとボールがあいにくと大きなディポットのくぼみの中に転がり込んでしまった。とたんに癇癪もちのファーガッソンはいきなり青筋を立てて怒鳴りました。「いったいぜんたいこれをどうして打てというんだ!」するとそばにいたテイトはニッコリほほ笑んで、「こうすればいいでしょう」といいながら自分のクラブでそのボールをディポットの穴の外の良い位置にそっと動かしたというのです。

いろいろな逸話を読んでいるとテイトは、ゴルフでスコアをよくしたいのではなく相手と正々堂々と勝負がしたかったのでしょう
そんな姿、人となりがスコットランドの人達に絶大な人気を誇っていたのです。

最後にボーア戦争にて戦場で綴っていた日記をご紹介してこのブログを終わりとさせていただきます。
「騎士道を色濃くとどめるにゴルフほど最適なゲームはないと信じる。ゴルフでは、正々堂々が身上。いかなる事態に遭遇しようとも常にフェアな精神を持続し、何よりも明朗であらねばならない。スコアに淫するは邪道。己のプレーのみに終始したならば多くの友人を失うだろう。
ああゴルフがしたい。ああコースが懐かしい。ああ一刻も早く芝の上を歩きたい」

平和でゴルフを沢山出来る環境にある我々はその事に感謝し、ゴルフを正々堂々、真正面から楽しむことがフレディ・テイトの教えではないかと私は考えます。


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