第7回 連載 Turnberryの歴史
- 2015年04月19日
第7回 Turnberryの歴史
ここで軽くターンベリー・エイルサコースの歴史を書いておきましょう。このコースは1903年開場し9番ホールと10番ホールの近くにある灯台が有名です。そして去年(2009年)の全英オープンのコースとして有名ですが開催の歴史は浅く1977年から始まって歴代優勝者を見るとそうそうたる顔ぶれです。
1977年はトム・ワトソン(トム・ワトソンとジャック・二クラウスの死闘で有名)。
1987年はグレッグ・ノーマン(メジャー初優勝)。1994年はニック・プライス、そして2009年は、スチュワート・シンクがトム・ワトソンとプレーオフの末優勝をしたのは
記憶の新しいところです。
1860年から始まっている全英オープンにおいてこのような素晴らしいコースが1977年まで開催できなかったのには理由があります。
それは2度の大戦でイギリス航空隊の訓練飛行場として改造された歴史があるからなのです。第1次大戦ではジェームズ・ブレイドがそして第2次大戦後ではマッケンジー・ロスが修復しイギリス屈指のチャンピオンコースに作り上げました。
とくに第2次大戦後は手の施しようがないほど荒れ果てていたそうです。マッケンジー・ロスはこのターンベリー出子供のころキャディーをしていて全てコースのレイアウトを覚えていることから白羽の矢が立ったそうです。
彼は、12番ホールの小高い丘の上にここから飛び立って戻る事が出来なかった若者の為に記念碑を建てました。
そこにはこう書いています。「祖国の名誉を守るため、諸君はターンベリーのコースから飛び立ち、ここ12番ホールに戻るはずだった。我々は君たちの勇気を忘れない。」
私たちは明日このコースでラウンドするのです。