書籍の紹介 べン・ホーガン「死の淵から蘇った男」

  • 2015年03月02日

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今日は書籍の紹介!
題名はベン・ホーガン
この本は、戦前と戦後にかけて無敵のプロゴルファーとして君臨したアメリカのプロゴルファーベン・ホーガンの生い立ちから、栄光と挫折を描いた名著となっております。

マスコミ嫌いは有名で謎に包まれたこのベン・ホーガンの歴史をここまで描いている本はなかなかないと思われます。

この本に書いてあるベン・ホーガンのゴルフ人生の中で幾度となく立ちはだかる壁!
その壁を3つの項目で紹介してみましょう。

その1つ目は、父親のピストル自殺があります。
小作人として南部の白人奴隷として穀物や野菜を栽培していた父チェスター・ホーガンはテキサスに移り住み、かじ屋を開業します。
そこで、生まれたベン・ホーガンは父の自殺により、新聞配達、そしてゴルフ場のキャディーとなり、生計を立てるべく懸命に生きていきます。そこで、戦前最強のゴルファーにしてホーガンの宿命のライバル、バイロン・ネルソンと出会うのです。

そして2つ目のカベというのが、そのネルソンとなります。
少年時代、ともにキャディーとしてネルソンと切磋琢磨をしてゴルフの腕を磨きます。
プロゴルファーになり、全米オープンなどネルソンとの死闘で数々の敗北を経験します。このホーガンの下積み時代が、のちの伝説のプレーを生み出すのです。

そして最後の3つ目のカベが、生死をさまよる交通事故があります。
戦中、ホーガンは陸軍航空隊に編入される。
そして戦後、復帰してからの快進撃です。
ホーガン時代の到来です。約3年半で優勝37回を上げるのです。
しかし、ホーガンは1949年の2月2日、奇しくも亡き父チェスター・ホーガンの64回目の誕生日、そして父が自殺した37歳にあと6カ月後に迎えるその日に、10トンバスと衝突!
隣に座っていた、バレリー夫人をかばうようにハンドルを離し体を倒します!!
ホーガンの左鎖骨は砕かれ、骨盤や肋骨も折れ、左足全体がズタズタになりました。

再起不能と思われたホーガンは、奇跡の復活を遂げます。
体の事を考え、そのあとのゴルフトーナメントのエントリーを一ケタに絞り、メジャーに絞ります。

そして、1953年、マスターズ、全米オープン、そしてあの有名なカ―ヌスティーでの全英オープンとメジャー3連勝という偉業を成し遂げます。
4か月間にわたってホーガンが成し遂げた事はたしかに眼を見張るものがありました。6つのトーナメントに出場し、そのうち優勝が5回を数えました。それもメジャーのタイトルが3つというから、まさに文句のつけようのない偉業を達成したのです。

幼少期に貧困、戦争によりゴルフができなくなり、ライバルとの敗北、そして生死をさまよう交通事故!
数々の困難に打ち勝ち、ベン・ホーガンは栄光を勝ち得たと言えます。

最後にベン・ホーガン自身が人生を振り返る言葉をご紹介して終わります。

~今になって振り返ってみると、私は金持ちの子供に生まれなかったには、つくづく幸福なことだったと思う。なぜなら金持ちの子供は、私のように色々な事をやるチャンスには絶対に恵まれないからだ。私は世間に冷たい面をもっている。一生の間には随分と辛い環境の中におかれたが、私はそれには負けなかった。金持ちの子供にはそれが出来ない。私には一日一日の進歩が喜びであり、それが自分にも分っていた。生まれた時から逆境の中で育ってきたからこそ、今の私があるのだと思う~


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今日は書籍の紹介! 摂津茂和著 サムライのゴルフ

  • 2015年03月01日

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今日は、書籍の紹介です。
摂津茂和著 サムライのゴルフ

この本には日本のゴルフ発祥の歴史の詳細が描かれております。

あまりにも濃い内容なので、ここでは簡単にこの本で書いてある日本のゴルフの歴史をご紹介してみます。

日本で初めてゴルフ場が出来たのは、明治34年にイギリスの茶商アーサー・ヘスケス・グレームが六甲山上に神戸ゴルフクラブを作ります。

始めは4ホール、そして9ホールとなり18ホールへという変遷があります。

その時の神戸ゴルフクラブのキャディーは小遣い稼ぎの子供が多かったそうです。
その中に、のちに日本のプロゴルファーとして活躍する横田留吉、中上数一、宮本留吉というそうそうたる顔ぶれがいました。

同年、横屋ゴルフアソシェーションという6ホールのゴルフクラブが旧鳴尾競馬場跡にできます。そこには、のちの日本初のプロゴルファー福井覚治が12歳までキャディーをしていたそうです。

関西で始まったゴルフの息吹は、日本にはまだまだ広まりません。なぜかと言うと、その理由にイギリス人が中心となって作ったゴルフ場という事があります。

そこで日本人が日本人のために作ったゴルフ場という事であの東京ゴルフ倶楽部ができます。
(現在の世田谷区公園)
井上準之助、樺山愛輔、森村市左衛門、荒川新十郎など政財界の貴族が中心にできたゴルフ場です。

日本のゴルフは、関西でイギリス人が初め、そのあと関東で日本人によって広がったという事がわかります。

その事が一番わかる記録に、日本アマチュア選手権があります。
なんと11回大会まで、出場者は全て外国人!

12回目から日本人一色虎児が初めて出場したと書いてあります。

ゴルフの歴史のお話を長々としていると、どこまでたっても終わりませんので、これぐらいにしてこの本に書いてある昔からあるゴルフ場のマナーを紹介して終わりたいと思います。

大正3年 鳴尾ゴルフアソシエーションができます。
そこは、古くからの古武士の集団がメンバーであったこともあり、マナーに対して厳格!!
そのマナーというのは3カ条で書かれていたと言います。
1、ボールに近づくまでに考えをまとめておけ
2、機敏に打て
3、そしてプレーの痕跡を一切残すな

たしかに昔から今に至るマナーの根本は何も変わることなく脈々と続いていると言う事です!


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書籍の紹介 トミー・アーマー「ベストゴルフ」

  • 2015年02月28日

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今日は書籍の紹介です。
トミー・アーマー 「ベストゴルフ」
ゴルフの技術書として世界でベストセラーとなった書籍でございます。
ベン・ホーガンの「モダンゴルフ」とレッスン書の双璧を担っていると言っても過言ではございません。
トミー・アーマーはスコットランドのエジンバラ生まれ。27年全米オープン、30年全米プロ、31年全英オープンを獲り、シルバー・スコット(いぶし銀のスコットランド人)と呼ばれていました。頭脳明晰でクラブデザイナーとしても有名であの伝説的名器「トミー・アーマー693」を生み出します。このクラブこそが、洋ナシウッドの基本型であり、のちにクラブの王様という最大限賛辞を与えられました。

そんな、クラブにも技術にも卓越した才能を持つ彼が、レッスンプロとして出した本がこの「ベストゴルフ」です。
ベンホーガンのモダンゴルフとは一線を画し、より分かりやすい内容になっており、上記の写真で出ている四つの絵を示し「大切なことは正しく学ぶに必要な姿勢はこの写真に示すだけの事である」と書いてあります 。そして「私の教え方は正しくなすべき少数の事を説くのが主眼」とも書いてます。

そんな中、私が感銘を受けた内容を2つに分けて紹介しておきます。

1つめは、スコットランドの古い言葉「ワッグルするようにスイングせよ」を心にとめて、円滑なワッグルを会得せよ。という記述です。

そこには、「ワッグルの決定的な目的は筋肉をときほぐし、静止姿勢からいきなりスタートするより、はるかにショットを容易にする
もしある人が性急な痙攣性のワッグルをすれば、その人のスイングも早くてギクシャクしたものであろう。もし、たるみなく中庸のテンポと柔軟性を持つワッグルをする人があれば、その人は必ず良いスイングをするはずである。」と書いてあります。

ワッグルの重要性を説いたトミー・アーマーがベンホーガンへとつながっているところが興味深いところでございます(少しマニアックな内容ですが(^_^;))

そして2つめがこの本の内容の中でもっとも有名な記述!
ワン・ツー・ウエイト・スリー!!のリズムです

ひとつ極めて簡単な秘訣によって、多くのゴルファーのタイミングは著しく改善される。それは単にバックスイングのトップでほんのわずか小休止することである!」と書いてあります

トミー・アーマーは「ワン・ツー」は振り上げながら数え、スイングのトップでは「ウェイト!」を唱え、小休止、そして「スリー」で振りおろしを始めるよう説いております。

この記述がこの本の真骨頂!このリズムが、あの有名なチャ―・シュー・メン!!やワン・タン・メン!へとつながっていったのではないでしょうか!(推測です(^_^;))

そんなアーマーはプロとしての道筋を作ってくれたのがあの有名なウォルター・ヘーゲンです。そのへーゲンは口癖のように「大きな手、足を持ってて、脳みその空っぽなやつを俺のところへ連れてくれば一流にしてやれるのだがな……」と言っておりました。

そして、ヘーゲンは大西洋の船中でゴライアス(巨人)のような手をした25歳のアーマーと知り合い、弟子にしたのです。

そして上記の事を話していたそうです。
それは、「あれで脳みそが空っぽなら今頃ゴルフ教師なぞしなくても左うちわで暮せたのにな」と。


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書籍の紹介 ゴルフ論 著者 篠田 穣

  • 2015年02月27日

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今日は、書籍の紹介でございます。
このゴルフ論の著者篠田 穣氏はゴルフ設計家としても有名です。
この本は、私が一番ゴルフの勉強をしていた時に読んでいた本でございます。
ゴルフの歴史から始まり、どのようにして世界に広まっていったかが描かれております。
そして世界の名だたるコースの紹介、ゴルフから通ずる宗教、民族について、ゴルフ史を飾る名手たち、そしてゴルフ場の設計からゴルフ用語までありとあらゆるものが、この本には描かれております。
この本の中で、ゴルフと宗教と民族とを絡めて説明しているところが非常に興味深かったので紹介してみます。

イギリスは、スコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの連合国です。
そして、発祥の地スコットランドはケルト族、イングランドはアングロサクソンという民族からなると書いてあります。
ケルト族にとってゴルフはそこに住む人々の生活として密着するもの
かたやアングロサクソン(ロンドン)では極端な階級社会、ゴルフは貴族、上流階級のもの

イギリスというカテゴリーで考えると、イギリス人は苦労することは人間形成に良い効果があると信じ、喜んで困難に立ち向かうと考えられている
スコットランド人になるともっと徹底していて自然、それ自身がゴルフは海岸でプレーするものと定めているとさえ言う。
スコットランド人が信仰するカルビン主義は、人間はこの世で苦しむために生まれてきたのであり楽しい事をする時にはとくに苦労すべしと教える

カルヴィ二ズムは禁欲的プロテスタンティズムともいわれるように、今日、我々では想像もつかぬほど厳しい教義を掲げている。

そのひとつに有名な預定説
神に救われる人間は、この世に生まれる前から決まっていて、人間はその決定を知る事もまた変えることも出来ない。人間の取るべき態度は、ただ神の意志に服従することでそれこそが正しい信仰である。
人間の心の内は隅々に至るまで神によって明晰に透視されており、我々の魂は神の前では何野隠れ場所を持たない。
この良心の公明さ!
これこそがスコットランド生まれ、カンヴィ二ズムの影響が「審判のない競技」として今日に至るも人々に強いインパクトを与えている。
歴史的にみれば、今日に至るまで英国憲法が成文化されていないにもかかわらず我が国のそれよりファンダメンタルやヘリテージが高く遵守されている事実を重くみたい。

最後に篠田氏はゴルフの基本を「神ぞ知るの発想」という言葉で締めております。
それは中国の宋時代の学者「范華」の言葉と同様とも書いております
それは「天知る」、「地知る」、「我知る」、「人知る」 「四知」と呼ばれる言葉だそうです。

自分に厳しく過酷な状況を自らの力で立ち向かう姿勢がゴルフの精神であると篠田氏は世界のゴルフ場をプレーし感じたのではないでしょうか!

harada golfのコンペが9月10日にあります!
このコンペはノータッチ!自分に厳しく困難に打ち勝ち、皆さん優勝を狙って頑張りましょう!


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