さあ!今日からHARADAGOLFの情報はこのウェブサイトから発信していきます!
今回はゴルフシューズの紹介です
今年のnewモデルの中で、私が仕様するシューズはこれです!
なんかサッカーシューズ見たいでカッコいいですね(^-^)
このモデルは、従来のソール素材に使われているウレタン樹脂に比べて、約30%の軽量化を実現しました!
とにかく軽い!!それだけ歩いていても楽です!
今年のおすすめシューズの一つです!
そして私が愛用しているゲルプレショットクラシック
今回はホワイトバージョンとブラックバージョンの2つです。
白の方は、裏地がお洒落なグリーン!
そして黒の方は、ブラック一色なのでさりげない色使い!
どちらもパンツに合わせやすい色使いのシューズになっておりますので、ゴルフの練習後に街でぶらぶら歩いていても違和感ないスニーカータイプとなっております!
お洒落は足元から!
そしてAsicsは日本のメーカーなので日本人の足に合わせた形でございます!
興味のある方は声をかけてください!
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絶壁バンカー
絶壁バンカーその2
ハーフを終えて一服
第8回連載
スコットランドのリンクス
さあ、夢のターンベリー・エイルサコースのプレーです。
朝はとんでもない嵐で誰もラウンドしていません。我々しかプレイヤーがいなかったと記憶しております。
希望ではキャディーを雇ってプレーしたかったのですが、どうさ英語も通じないし話す勇気もなかったので、担いでプレーする決心をしました。
カートにゴルフクラブを積んで運転しながらのゴルフが増えている昨今、歩いて自らバックを担ぐゴルフはどのようなものでしょうか。
イギリスとアメリカでのゴルフの論争にゴルフカートの導入があります。アメリカは合理主義の国です。カートでプレーすれば早いし楽だということです。しかしイギリスはカートでゴルフすることに反対したそうです。大地を歩き自分でバックを担ぎプレーする姿がこのリンクスでは本当に絵になります。
私もこのリンクスのコースに降り立ち歩いてみてそう思いました。なんせバンカーは崖のような断崖絶壁!!運転を誤ってカートでバンカーに落ちたらひとたまりもありません。
話がそれてしまいましたがヤーデージブックを片手にキャディーバックを担ぎながらのゴルフはジュニア時代を思い出す新鮮なものでした。さてコースのコンディションは風は南から北への猛烈な風、さらに叩きつけるような雨です。ラフはうねるように生えていてからみつくような芝です。そしてバンカーはスコットランドのリンクスコース特有のポットバンカーで、入ったら出すだけでも納得しなければならない深さです。
さあ一番ホールのティショットです。ウォームアップもできずにいきなり私はDWで打ちましたがイメージトレーニングだけはこの旅行中していたのでアゲンストの中フェアウェイに打つ事が出来ました。
しかしセカンドショットで早くもリンクスの風の洗礼を受けます。123ヤードのアゲンストで5Wを短く持ち打ち抜いたボールは若干スライススピンがかかりそのまま右の深いラフの中に入りました。
私は一応暫定球を打ちましたがまたもやスライスがかかり、またラフの中!しかも2球とも届いていないのでありませんか!!
123ヤードを5Wでとどかないとは!
結局5Iで刻む事してもう1球打ち、グリーンの狙えるベストポジションに落としたのです。初めに打ったボールを探しましたが深いラフで見つかりません。ロストボールです。
結局このホールは9も叩いてしまい予想以上のヘビーなコースに武者震いが止まりませんでした。(ただ寒かっただけかもしれませんが)
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ターンベリークラブハウス
12番ホール慰霊碑
第7回 Turnberryの歴史
ここで軽くターンベリー・エイルサコースの歴史を書いておきましょう。このコースは1903年開場し9番ホールと10番ホールの近くにある灯台が有名です。そして去年(2009年)の全英オープンのコースとして有名ですが開催の歴史は浅く1977年から始まって歴代優勝者を見るとそうそうたる顔ぶれです。
1977年はトム・ワトソン(トム・ワトソンとジャック・二クラウスの死闘で有名)。
1987年はグレッグ・ノーマン(メジャー初優勝)。1994年はニック・プライス、そして2009年は、スチュワート・シンクがトム・ワトソンとプレーオフの末優勝をしたのは
記憶の新しいところです。
1860年から始まっている全英オープンにおいてこのような素晴らしいコースが1977年まで開催できなかったのには理由があります。
それは2度の大戦でイギリス航空隊の訓練飛行場として改造された歴史があるからなのです。第1次大戦ではジェームズ・ブレイドがそして第2次大戦後ではマッケンジー・ロスが修復しイギリス屈指のチャンピオンコースに作り上げました。
とくに第2次大戦後は手の施しようがないほど荒れ果てていたそうです。マッケンジー・ロスはこのターンベリー出子供のころキャディーをしていて全てコースのレイアウトを覚えていることから白羽の矢が立ったそうです。
彼は、12番ホールの小高い丘の上にここから飛び立って戻る事が出来なかった若者の為に記念碑を建てました。
そこにはこう書いています。「祖国の名誉を守るため、諸君はターンベリーのコースから飛び立ち、ここ12番ホールに戻るはずだった。我々は君たちの勇気を忘れない。」
私たちは明日このコースでラウンドするのです。
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ど田舎の暗闇に煌々と輝くターンベリーのホテル
ホテルの裏側の夜
ホテルの裏側の昼間
ホテルのロビー
ホテルのバー(ここでウイスキーの飲みました!似合うような貫禄がほしい(^_^;))
ハイランド・ドレスを着たホテルマン
6回目
ようやくターンベリーに!
真っ暗の田舎道をターンベリーに向けて車を走らせていると、天気は大雨ととてつもない風が吹いている中、やはり洪水の為ターンベリーの道路が封鎖されていました。
でももはや進むしかありません。違う道を突き進みカーナビを信じて走り続け、そしてついにターンベリーに到着し、さあここからが本番!看板を探しゴルフ場とホテルを探さなければなりません。
日本のゴルフ場のように看板を期待していた自分が馬鹿に思えてなりませんでした。車を止めては走り、走っては車を止めて捜してはみるものの真っ暗闇で何も見えません。そんな中大きな看板が見えました。ターンベリーホテル&ゴルフという看板です!!
看板に従い私たちが向かった先にそびえ立つのは煌々とライトアップされたターンベリーホテルでした。
チェックインをしてあの有名なタータンチェックのスカートをはいているハイランド・ドレスという民族衣装を着た男の方に荷物を部屋まで持ってもらい、まだ食事を済ませていなかったのでホテルのレストランで食事をし、明日8時50分にプレーする予約をしました。
ついに明日、ターンベリー・エイルサコースでのプレーが実現するのです。この旅の最大の目標ともいえるゴルフを明日プレーする期待感でまたもや眠れませんでした。(このままだと寝不足ですね)
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