書籍の紹介 ツアー 11連勝した男(バイロン・ネルソン)

  • 2015年02月24日

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今日は書籍の紹介です。
ゴルフの世界で、1勝するだけでも困難な中、アメリカツアーで11連勝をし世界記録を達成したアメリカのプロゴルファー、バイロン・ネルソンの自叙伝です。

1946年を最後にツアーから引退したが、その後もマスターズには出場し続け、長年スターターを務めました(今は二クラウス、パーマー、ゲーリー・プレーヤーの3人)。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立された際に殿堂入りするという伝説のゴルファーです。

この本を読んで感じたことを率直にお話ししますと、今のそれとは違う、プロゴルファーという職業の劣悪な環境を垣間見る事が出来ます。

クラブプロとしてゴルフ場での業務をこなしながら賞金を求めて自ら広大な大地を車で運転して、試合で負ければ賞金はゼロ。そして最大の違いは、賞金額にあると考えます。

今は優勝には程遠い成績でも高級車を乗り回し、ぜいたくな生活ができてしまう環境。当時のプロゴルファーは負ければ地獄という環境の中、むき出しの闘争心で戦う姿勢に一種のカリスマ性を感じたのではないでしょうか。

バイロン・ネルソンのプロゴルファ―としての足跡の中でこの本に描かれている2つのポイントを紹介いたします。

1つめのポイントは近代スイングの祖といわれ、スイング理論を確立させた立役者であるということ

当時、ヒッコリーシャフト(木のシャフト)からスチールシャフトへシャフトの以降する流れがありました。

ヒッコリーのスイングは、今よりフラットでバックスイングで開いたフェースをダウンスイングで閉じるように両手を使って打っていました。

ヒッコリーにはねじれがあるのでインパクトでフェースが開いて入ってくるのを閉じる必要があったのです。しかしスチールにはそれがなく、それを行うとフックになる。その事に気づき、フェースローテーションを抑えた現代のスイングにもつながる理論を確立したのです。

特徴が、アップライトな縦振りとフォローで両膝を目標方向へまっすぐスライドさせる下半身リードです。

これが、近代スイングの祖と呼ばれその後、一世を風靡するアメリカン打法へと進化していくのです。

もうひとつが若くしての引退にあります。
それは、最も素晴らしい成績を残した1945年の次の年に34歳という若さで引退をしたという事の理由が書いてあります。
1945年
平均ストローク 68,33
勝利数 18勝 その中11連勝 2位が7回

アンダーパーラウンド 90数回

この成績の次の年に引退を発表します。

それはなぜか!!

そこにあるのは、バイロンの幼少からの夢が牧場を買うことでした。しかも戦争や大恐慌の時代に育ち生きたきたということもあり借金をするのも嫌で現金で払うという事で1945年のゴルフシーズンを牧場資金を稼ぐという目標で挑んだのです。

牧場を買うというただ一点の目標ができたことでバイロンは快進撃を続けます。1勝するごとに、牛も買えるし、牧場も広くなる。分割払いの支払いにも充てられる。その結果、牧場購入と引退と11連勝がつながるのです。

もしバイロン・ネルソンがまだ34歳で引退しなければもっと勝利を重ねていた事でしょう。しかし、牧場の資金の為、稼ぐためのゴルフ、職業としてのゴルフを全うし戦った事で11連勝という成績が後からついてきたという事を考えるとその後、目標、モチベーションがなくなった状態でのゴルフに力が入らなくなるのも本人は理解していたのかもしれません。

最後に、バイロン・ネルソンの引退について、もうひとつの見解を紹介して今回のブログを終わりたいと思います。

バイロンのゴルフの悩みの中に調子が良くなるにつれてときどきプレイそのものに飽きてしまう事があったそうです。フェアウェイに打ち、グリーンに乗せ、バーディもしくはパー、そして次のホールへ...。

やっていても一本調子で面白くないと考えたのではないでしょうか!

こんな、一本調子のプレーでゴルフに飽きてみたい!!


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書籍の紹介 ザ エンサイクロぺディア オブ ゴルフ

  • 2015年02月24日

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今日は書籍の紹介です。
この本は、記憶が確かであれば、父からクリスマスのプレゼントに頂いた本でゴルフの図鑑でございます。

その当時は、ゴルフの歴史なんか興味なくただうまくなりたい一心だったのを覚えております。その結果、あまり読む事もなくお蔵入りしていましたが、この仕事についてから事あるごとに調べ物で活躍する大切な書物と化しました!!

世界4大メジャーの大会のコースはほとんど網羅していますしそのコースの歴史、成り立ちなどエピソードがしっかり描かれています!

そして、ゴルフの発展に著しく貢献した100人の傑出した方々が紹介されています。
リストには、メジャー大会での偉大なプレーヤーだけではなく、ゴルフ史において重要な役割を果たしたコース設計者やクラブ管理者の名前も見られる。

この本はまだ書店にて購入できると思います。ゴルフのより深く楽しみたい方、必見の本!!
このザ エンサイクロペディア オブ ゴルフを読んでみてください!
おススメです!


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書籍の紹介 摂津茂和  ゴルフ世界名勝負物語

  • 2015年02月24日

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10歳のキャディー、エディー・ロワリ―を連れたフランシス・ウィメットの有名な写真
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今日は簡単に書籍の紹介!
著者 摂津茂和
ゴルフ世界名勝負物語

摂津茂和は、作家でゴルフ史家としての第一人者です。ゴルフ書籍のコレクターとしても世界的に著名で数多くのゴルフのエッセーや歴史書を書いています。

ゴルフの発祥であるマッチプレーでの勝負の駆け引きや、騎士道精神にのっとった1対1の戦いを描いたこのお話はストロークプレー全盛の昨今では描く事が出来ない独特の世界観があります。

ゴルフ・コレクターズ・ソサイティの創立会員である摂津茂和氏は多くの英米の会員間のトレードによって思いがけないほどの古文献が集まり、ようやく必要な資料がそろったので、年来の夢の名勝負物語を描く決心がついたそうです。

その中で大好きなお話を紹介いたします。

1913年、全米オープンで、弱冠20歳の無名アマチュアのフランシス・ウィメットがイギリスのハリー・バードンとテッド・レイと1位をタイし、プレーオフで2人を破って優勝したというお話です。

ただ、上記のことを聞いてもパッ!と来ない方が多いと思いますが、当時アメリカはゴルフ後進国でイギリスから大スターのハリー・バードンとテッド・レイがアメリカの技術向上のため招待されたという事実があります。
そしてこの事を後年アメリカのゴルフ評論家のトム・フラハ―ティーは当時を回想して、
「これは今日アーノルド・パーマーとジャック・二クラウス(今でいうタイガーウッズとフィル・ミケルソン)が、ニューギニヤやサモア島で模範競技をやって土人たちを驚かしたようなもんだ」と話しています。

この無名のアメリカプレーヤー、ウィメットは10歳のおさないキャディーのエディー・ロワリ―とともにたたかい、世にもひたむきな顔をしながら、「しっかり!目をボールからはなさないで!」と助言したするなどその可憐で忠実な献身ぶりは、美談として有名です。

このフランシス・ウィメットの勝利からアメリカの快進撃が始まったと言われています。そしてウォルター・へーゲン、ボビー・ジョーンズの出現でアメリカがイギリスにとって代わりゴルフの王者に輝いたと言われています。


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書籍の紹介 ハーヴィー・ぺニックの最後のゴルフレッスン

  • 2015年02月24日

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今日は書籍の紹介です。
わたしのレッスンプロとして尊敬している人の本です。名前はハーヴィー・ぺニックというアメリカのプロゴルファーです。彼を慕うプロゴルファーにはそうそうたるメンバーが名を連ねています。デービス・ラブⅢ、トム・カイト、そしてベン・クレンショ―です。

彼が書いたレッスン書、リトル・レッド・ブックとグリーンブックは大ベストセラーとなり一躍有名となりました。かれは、この本の執筆中に肺炎で倒れ死の床からこの本を書き上げました。
彼は、こう言ってます。人はすべて、自分が卓越していると思いこみたい。教師からの批判は、進歩への意欲を殺いでしまう。賞賛することには積極的に、欠点を見つけるにはゆっくりでいいのだ。
議論はするな!!たとえ議論に勝っても、たいてい生徒の好意を失うだけのなのだ。生徒には、彼らが間違っているというべきではない。私たちのほとんどは、自分自身について
”ひがみ”を抱いているものだ。自分が間違っている時には、それを自分で認める事があるかもしれない! が、仮に誰かが、その事実を突き付けようとしたら、絶対に認めたがらないであろう!

1995年、90歳でトム・カイトにみとられて息を引き取ります。その1週間後、ベン・クレンショ―は2回目のマスターズチャンピオンに輝きます。そのわずか2週間前ぺニックは、70年以上に及んだティーチングプロ生活で最後のレッスンをクレンショーに行った。そこで死の床からかすれた声で指示を出した。「自分を信じよ。自分自身を信じるんだ…」

この年のマスターズで最後のパットを決めた瞬間、ベン・クレンショ―はこみ上げる思いを抑えきれず、両手で顔を覆い、グリーンにうずくまった。この映像は、今でもマスターズのオープニングの歌の時に流れています。そして、彼はスピーチでこう語っています。「バックの中に15番目のクラブが入っていたんです。そう、ハーヴィー・ぺニックという名のクラブが」
マスターズは、4月6日から始まります。楽しみですね!


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