今日は、ゴルフというスポーツについてお話してみたいと思います!
ゴルフの未来は明るいのか?
そんなことを時々考えるときがあります!
というのも65歳以上のプレーヤーが35%をしめている現在、その方々が高齢になりゴルフができなくなった時、ゴルフの未来という観点から考えると心配ではあります!
やはり若者に向けたアプローチが必要と言われ続けてきました!
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ゴルフをしている若いプレーヤーをあまり見かけない!
若い人はゴルフをしない!
などという事も言われております!
でも考えてみると
まず平日に若者がゴルフに行っているのもどうかと思います!
仕事しろ!
となります
そしてドレスコード!!
多々あるマナー&エチケット
そして金額の問題!
やはり若者が何十回も楽しむスポーツとしては、少しハードルが高い!
でも若者が年を重ね、余裕ができたときゴルフというスポーツが受け皿として存在していれば良いのではないでしょうか!
成熟した人間が、楽しむ成熟したスポーツ!
私が考えるゴルフの位置づけです!
縮小傾向にあるこのゴルフ業界の中で変化もございます!
まずは、私のゴルフスクールの年齢構成が少しずつ変わっているのです!
多くなってきているのが40代!
20代、30代と避けてきたスポーツとしてこのゴルフがありました!
でもやらなければならなくなった!
そしてやってみると面白い!
はまる!
この展開は、どうも昔と同じではないでしょうか!
それは少し遅くなったという事はあります!
昔は20代で無理やり動員させられたスポーツとしてゴルフやマージャンなどがありましたが今は、自主性が重んじられる
社員に無理やり自腹でゴルフやれ!なーんて乱暴かも
しかしゴルフというスポーツ自体がとても魅力的!
奥が深い!
敬遠してきた若者が、年齢を深めてから始めるスポーツとしてもゴルフはとてもおすすめなスポーツではないでしょうか!
プロサッカー選手がプロゴルファーに!
プロ野球選手がプロゴルファーに!
プロテニスプレーヤーがプロゴルファーに!
全てが考えられますが、
逆はどうでしょうか?
プロゴルファーとして20代までやっていて さて!これからプロサッカー選手になるぞ!
絶対無理!
(絶対は語弊がありますが)
年齢を重ね少し体が動かなくなってからでも始められるんです!
そして若者から年配の方が、対等に戦える!
そもそも歴史が違うんです!
文献では1457年のゴルフ禁止令!
スコットランド王がゴルフが楽しすぎてハマりすぎてしまった兵士に、もっと弓道の鍛錬をするようにと出した御触れです
それ以前の文献がないだけでとてつもない歴史と太古の昔から人々が魅せられたスポーツであることがこの文献からもわかります!
私としてはゴルフの楽しみは
この本の中に全て詰まっております!
〇 心 技 体 & 歴史&クラブ
心 メンタルの強さ
技 スイング理論
体 身体の強さ(フィジカル)
歴史 ゴルフの数百年の歴史を紐解く楽しみ
クラブ 常に新しい新製品が出るゴルフギアの楽しみ
心の戦い 技術の勝負 体の強さ ゴルフという歴史の深み ゴルフギヤの楽しみ
私はそんなわけでゴルフの未来は明るい!と言わせていただきます!
辞める人もいれば
始める人もいる
始める人に楽しさを教える
それが私の仕事です!
そのため日々発信していきます!
HARADAGOLFでは会社単位で契約する法人レッスンというサービスもございます!
HARADAGOLF法人会員レッスン
コンセプトは
HARADAGOLFと会社のコラボレーションによりゴルフ若人を応援する
会社と年間契約を結び、登録社員はワンコイン(一回500円)でレッスンを受けることができるサービスです
詳細はウェブサイトにて掲載しております
という事で2017年に向けてまだまだできることを今年中に頑張りまーす!(^^)!
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今日は書籍の紹介!
ゴルフには、何百年もの間で色々と変化してきた歴史があります。
ゴルフボール、ゴルフクラブ、ゴルフコース、etc. 進化の歴史でございます。
そんな中この書籍では、いろいろなゴルフにまつわる変化そしてその変化に対する論争などを面白おかしく紹介しております!
4章で構成され、ホールインワンの礼儀や作法、和製ゴルフ用語、ゴルフの女性進出、ゴルフレッスンについてなどいろいろな視点からエッセイが展開されております。
その中で、ゴルフウェアの変遷がマナー、エチケットの観点から書かれている項目をご紹介したいと思います。
そもそもゴルフのウェアはなぜ襟付きなのでしょう!!
ここから疑問を投げかけます
それはゴルフがイギリス王家「スチュワート王家」とかかわりがある事が起因します。
スチュワート王家はスコットランド王ジェームズ6世が1603年エリザベス女王の後を継いで
イングランド王ジェームズ1世になり、ロンドンに住むようになってからブラックヒースの公園に7ホールのゴルフコースを作ったといういきさつがあります。
スコットランドからイングランドへゴルフが広まるきっかけと言っても過言ではございません。
このスチュワート王家の家訓にはこう書かれております。
「相手に敬意を払い、周囲に不快感を与えない服装こそ「作法」の第一と知るべし。服装は自分の為にあらず、相手に対する衷心からの礼儀なり」(スチュワート家の歴史、第2巻より)
夏坂健はこのことからこう書いております
「現存する最古の文献から数えても540年、ゴルフが途方もない歴史を持つゲームだと認識する人のなんと少ないことだろう。パーだのボギーだのとスコアだけにしか興味をしめさない貧しきゴルファーを指して、スコットランドの紳士たちは、『ゴルフが似合わない連中』と軽蔑する!」
丸首のTシャツ、ノースリーブの発端も下着に始まり、正装に昇格することはない!と断罪!
場所柄をわきまえるのが社会人の常識であると。
この論争に、まだ一石を投じたい方々からの投書にまたもや反論!
脈々と受け継がれていくゴルフウェアの歴史を列挙します。
ゴルフ太古の書物からも、たとえば釣りの途中で友人からゴルフのお誘い!
すぐさま家まで取って返すと、ネクタイ結ぶ間も惜しくコースに走り出す!
しかし気が焦るほど手が動かず、そこで革命的な発明にたどり着く!
あらかじめゴム紐にネクタイをくくりつけておいて、さっと首から被るだけ。これが大いに流行してロゥタイと呼ばれるようになり、それが進化してタキシードタイに採用されたとされております!
ついでにゴルフが発明したファッションの紹介
マッチプレーからストロークプレーへと移行し、そうストローク数を勘定しなければならなくなり余のゴルファーは困りました。
それまでは、マッチプレーが主体なので、1打差「オッド」2打差「ツーモア」、3打差「スリーモア」とアップ数、ダウン数を確認するだけでした。
鉛筆も紙も貴重な時代、彼らは最も身近にあったワイシャツのカフス(袖口)にスコアを記入し始めます。
困ったのはゴルファーのみならず。帰宅する亭主の袖口がなにやら数字でごちゃごちゃに汚れているうえ、鉛筆はいくら洗っても綺麗に落ちてくれない。
思案した女房たちは、カフスが交代できるようにボタン止め脱着装置を考案した上、幅広く使えるようにダブルカフスまで誕生させたのです。
スチュワート王家の作法書に従い、服装は、機能性より儀典性を重んじられたゴルフの歴史としてあるのです。
しかし1910年以降アメリカがゴルフの舞台となるとまずキャディーはネクタイを免除されゴルファーとキャディーとの区別がつくようになりました。
やがてフロリダ、カルフォルニアなど摂氏30度の猛暑の中でスコットランドの伝統を守れとは無理な話であり、スーツが脱がされ、ネクタイが捨てられ、ワイシャツの袖が半分に切られたのです。
「しかし、襟だけはつけておきなさい。これはゲームに対する畏敬の念であり、相手に対する礼儀でもあるのだから」
結局のところ、やはり歴史への敬意を払い、それなりの正装でなければならないと結論付けております。
最後に啓蒙家のカーネギーはその思想が服装にまで及ぶと考えらる名言を紹介してこのコラムを終えております。
それは
「世間は、清潔で明るいものを好む」
プレー前夜のコーディネイトもまたゴルフの愉しみ
その心は「清潔」の2文字
そのように書いております。
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今日はオリンピックとゴルフの関係を摂津茂和著の「偉大なるゴルフ」に書かれている一説でご紹介!
2016年のオリンピックでゴルフが112年ぶりに復活とゴルフ界は今大いに盛り上がっておりますが、
実は1900年パリの第2回大会、そして1904年のセント・ルイス大会の第3回大会だけではなく、1936年のベルリン大会の第11回大会でも行われております!
ですので正確には80年ぶりというのが正しい見解でございます!
この本に書かれている事によると、とても不思議なことに最初のパリ大会からのゴルフ競技の記録がなく、1976年のロンドンの新聞「サンデー・タイムス」のオリンピック記事で初めて判明したくらいです。
それもコースや優勝者、競技記録などは全く不明ということです。
なぜ不明であるかというとその原因は、ゴルフがマイナースポーツである事がいえます。
パリ大会は、オリンピック創始者クーベンタン男爵を表彰するための大会とされ、資金難で万国博と共同で行われ、競技場もパリのボア公園内の一周100メートルの小さなレース・コースを使用し、オリンピック史上最も貧弱で不成功に終わった上、その頃のフランスでは「ゴルフ場に行くのは女のキャディーだけ」と言われたくらいゴルフは不人気な競技であったといわれております!
2回目のセント・ルイス大会もこれ又不思議に、当時のアメリカのゴルフ週刊誌にさえ報道されずに長い間不明とされておりました。
しかし、このセント・ルイスにおける大会の金メダルは、カナダのロイヤル・カナディアン・ゴルフ・アソシエーションの博物館に展示されている事がわかりました。
優勝したのは、ジョージ・ライオンというカナダの選手。
カナダのトロントランプトン・ゴルフクラブの会員で最初36ホールの予選をし32名を選び抽選で2名ずつ組み合わせマッチプレーでの勝ち抜き戦ということです。
この大会も、主催国のアメリカの新鋭チャンドラー・イーガンとの決勝大会は、終始ライオンの豪快な長打で圧倒!34ホールめで3&2でジョージ・ライオンの優勝となり、外国人に金メダルを奪われたということなのか、記録や写真が何一つ残っていないようでございます。
そして、最後の3度目の大会はというと、当時ナチスの象徴アドフル・ヒトラー総統がドイツの国威発揚のためオリンピック史上もっとも巨額の国費を投入した破天荒な大会となりました。
これほど大規模な大会であってもまたしてもゴルフ競技だけは、例によってなんの記録もなく、恐らく英米でも長い間知られていなかったと書かれております!
そんな中、著者の摂津茂和氏が入会しているアメリカのゴルフ・コレクターズ・ソサエティの会報で判明いたします。
1951年ロンドンの画廊ハッチンスン・ハウスでイギリスの60の各種スポーツ団体から出品された優勝トロフィーの展示会が催され、その中にイングランド・ゴルフ・ユニオンの出品で、ドイツ総統が寄贈した見事な銀製トロフィーがひと際注目を集めました!!
そのトロフィーにはこう説明が書かれておりました。
「このトロフィーはアドルフ・ヒトラー総統が、ベルリンオリンピックのゴルフ競技に寄贈せる世界でただ一つしかない稀品で、しかもゴルフがオリンピックの競技種目に取り入れられた最後のものである」
この大会は、フランス国境に近いヨーロッパ湯数の保養地、バーデン・バーデンのゴルフコースで行われ、第3ラウンドを終えた時点で、ドイツチームの優勝の公算が濃厚となったためヒトラー自ら赴いて母国チームに優勝トロフィーを授与することとなりました。
ところが最終ラウンドにはいると予想を裏切って、イギリスチームのトマス・サースクと、アーノルド・ベントリーの善戦でイギリスの逆転優勝となりました。
この逆転経過を現地に向かう汽車の中で聞いたヒトラーは、ひどく機嫌をそこねて急きょ旅行を取りやめ、ドイツ・ゴルフ・ユニオン会長のフォン・ヘンケルにトロフィー授与を命じて、そのままベルリンに引き返したというお話でございます。
さあ2016年オリンピックがブラジルで!
そして2020年東京オリンピックでゴルフが復活です!!
これからのゴルフ若人たちに期待!!
今日は、書籍の紹介!
摂津茂和著 世界ゴルフ史話というゴルフの歴史について事細かく詳細がユーモアをちりばめた名著となっております!
その中で、ゴルフ用語の由来について書いてあるところが興味深いのでご紹介しておきます!
ゴルフという世界的スポーツにおいて、ゴルフの歴史やゴルフの由来はまだ定かではありません!!
どこで生まれたのか、本当の真実はいまだにはっきりしていないのです。
一番有名なのがオランダ説です。
ゴルフという名から、スコットランド固有のものか、それとも外来語の転嫁であるかがはっきりわからないために、ゴルフのオランダ渡来説の論争の一因となっているのです。
オランダの古画に描かれたコルベン、またはコルフというアイスホッケー風の遊戯が極めてゴルフに似ているところからそれがスコットランドに渡来して、ゴルフという名に転嫁したのではないかというのがオランダ渡来説でございます。
この本では、ゴルフ用語のなかに、オランダ語の転嫁と思われる言葉が沢山あると書いてあります。
ティー、パット、クリーク、二ブリック、フォア、ドーミーなどです。
事実これらの言葉は辞書を引いても、ゴルフ用語以外に意味はなく、英国でもスコットランド地方の方言とされている。しかしゴルフのスコットランド発祥説を主張するものも、いきおい反論せざるを得なくなりゴルフ語源争いはいまだに続いているのです
このオランダ渡来説の反対派が強調するのは、これらの語形の類似は単にチュートン語全般の共通性によるものであって、オランダ語の転嫁ではなく、いわゆるグリムの法則(インド・ヨーロッパ諸語の子音転換の法則)の言語学的変化にすぎないというものです。
したがって、
オランダ語のコルフ、コルベン
ベルギー語のコール
スコットランドのゴルフ
とそもそもの母体のチュートン語のKolbeが変化したもので、本来の意味は頭の丸い棒、すなわちクラブの事です。
どれが本家というわけではなく、もともと棒の先で球を打つ遊びは、古来人間の一種の本能であって、コルフも、コールもゴルフもそれぞれ独自の形で自然発生したものであるというのが反対派の解釈です。
スコットランド古語で初期のゴルフを「Gowf」と呼んでいた事実、そしてこれはスコットランドの古語で強く打つことを「to gowff」といい、この動詞が変形して、Golfに転嫁したといわれております。今日でもスコットランドの古老のキャディーなどはゴルフをゴフ、またはゴーフと発音しているそうです。
また「パット」(Putt)についても言及しております。
もともとオランダ語の穴に転がし入れるという動詞のputtenから来たものと言われていたが、これに対しても反論がされている。
パットという用語がゴルフに使われたのは、比較的後代の事で、初期はパッティング・グリーンと言わずにホール・グリーンといい、前紀の最初の成文規則にも、パットという字は全然使われず、At holingすなわちホールに入れる時は、と書かれている。ゴルフにパットという用語がつかわれだしたのはパターというクラブができてからであって、そのパターも、最初はドライビング・パターとグリーン・パターの2種類があり、もともとはボールを低く打つという意味で、オランダ語のputtenとは関係がなかったというのである。
そのほか
スタイミー
オランダ語「我を止める」 Stuit mij
英語の古語「少しも見えない」 Styme
ゲール語 「自分の中に」 Stigh mi
クリーク(Cleek)
オランダ語のクラブの意 Klik
スコットランド語 鉄鉤 Cleik
などです。
競技として確立させたのが英国であるという事は紛れもない事実であり、それでいて発祥はどこという論争はいまだにつづき、中国やらルクセンブルクなどいろいろと名乗りでており、いまだに定説はないのです。
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