今日は書籍の紹介!
夏坂 健 著
「されどゴルフ」
ゴルフという偉大なゲームをただただスコアを追い求めるだけのものにしてはいけない!
この本にはゴルフの長い歴史の中から語り継がれる知的なお話をユーモアを交えて書かれております。
その中から一つだけご紹介!
ある母親は現在60歳を超えてもいまだにハンディ7の技術を保ち
パットの調子さえ良ければパープレーでラウンドできる腕前
ブリスベーンのバージニアゴルフクラブに行くと彼女が連続5バーディをとった話
妊娠して7カ月のとき「70」というスコアを出した話など、伝説を沢山聞く事ができる
オーストラリア最大の炭鉱都市マウント・アイザでグレッグ・ノーマンは、この伝説のゴルファーから生まれました。
ノーマンは、クリケット、サッカー、ラグビーなど何をやっても学校一の巧者!
そして運動競技だけでなく学業もトップクラス!
その頭脳と運動神経を見込んだ学校の先生は強引にノーマンを説得して「パイロット養成学校」に通う事を進めます!
そして航空学校でも成績は上位!
スーパーシングルの母親はそんな我が子にゴルフを進めます!
進め方はいたって簡単
「ねえグレッグ、ゴルフをやってごらん。人生が倍も楽しくなるよ」
それから見る見るうちに上達し、クラブを握って20カ月でなんとスクラッチ(ハンディ0)プレーヤーとなります。
しかしこれからノーマンの決断の時!
パイロット養成学校での2年間が終了して、ジェット戦闘機に乗りこむのに最適の戦士とみなされたのです。
そして空軍入隊の承諾書にサインし、はれてパイロットになるというその瞬間!
彼は書類をじっと見たまま身じろぎもしなかった。
グレッグは署名を拒否したのです。
その理由は、これから少なくとも5年間はクラブも握れない訓練の日々が続く!
この5年間、自分はゴルフと縁を切ってくらせるだろうか!
1度だけの人生!自分の好きなものにかけてみよう!ゴルフを選んで絶対後悔しないか!しないと断言できる!だって死ぬほど好きだから!とにかく好きだから
両親は黙って話を聞いてくれた。しばらくして父親が言った!
「これまでおまえの直感が間違った例は、まだ見た事がない!決断は多分正しいと思うよ!」
スーパー・シングルの母親が、その時どうふるまったかについて、白い鮫(ホワイトシャーク)はこう語っている。
「おふくろは何も言わなかった。私が入隊せずに私服で戻った瞬間、全ての事情を察した。
そして、嬉しそうに笑ってばかりいたよ」
オーストラリアの伝説のゴルファー、ホワイトシャークことグレッグ・ノーマンはこの時誕生しました
そしてそれはこの偉大な両親のもとで生まれたからといっても過言ではございません!
ゴルフの素晴らしさを教えたかった母親のノーマンに対するゴルフの教え方はいたって簡単!そして明瞭!
「悩んだ時だけ相談に乗るわ!ゴルフは頭を止めた回転競技だってこと忘れないで」
なんとも簡単!これで世界ナンバーワンのゴルファーが誕生したなんて…..
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今日は、久しぶりに書籍の紹介!
といっても私が生まれた1977年に発行された本ではございますのでもちろん書店には出ておりません!
ご了承ください!
この本にはアマチュアの伝統という事をイギリス人からの視点で古き良き時代を例に書かれております!
1937年から1942年まで駐日英国大使に勤務していた経歴もある著者トレバー・レゲット氏は柔道も6段、将棋は3段とかなりの親日家。
当時から世界に普及するゴルフに対して警鐘を鳴らしております!
一つに日本では相撲を子供の時に遊びでとることは誰だって一度はあると説きます!
そして英国人からすると日本の相撲はテレビ中継しか見たことがないので、塩をまいて裸にふんどしをするという事を日本人は誰しも経験していると勘違いをするというのです!
我々日本人はそんなことはしません
ただ遊びで学校の放課後に、友達とじゃれ合う程度のことを話しているのです!
この感覚がイギリス、スコットランドのゴルフであるという事です!
ようはプロゴルフのようにデカイキャディバックにフルセット14本を持ってゴルフなど皆さんしていないのです!
7本くらいの古びたクラブを使い自分で手引きカートに細いキャディバックを括り付け、放課後の遊び感覚で子供の時から慣れ親しむのが、スコットランドのゴルフであると著者は述べております。
さらには、クラブライフについても述べております。
日本のコースに比べプレーフィやメンバーになる入会金がプライベートコースでも比較的安く(1970年代なので参考にはなりませんが)50ポンド(25000円)で入会でき、年会費が30ポンド(15000円)と当時のレイトですので比較にはなりませんがかなり昔から安い設定ではあります!
しかしそう簡単にはメンバーにはなれません!
メンバーになる為には厳しい規則があるのです。
条件の基本はメンバーになったあかつきには、コースをちゃんと世話し続けていけることができるか!という点でございます!
たとえばアイアンショットを打った後にできるディポットを、きちんと埋めていなかった場合、それがたび重なると、それを見ていたメンバーは、クラブの運営委員会に報告する義務があるのです。
メンバー全員が、こうしたことに、非常なプライドを感じているというのがメンバーシップの基本となります。
ゴルフをどう楽しむかは人それぞれです。気軽なゴルフ、メンバーシップのゴルフ、競技ゴルフ しかしそこには、生活の為、お金の為ではないアマチュアとしての基本という事を考えさせられます。
かの有名なボビージョーンズは、競技ゴルフの経済面の問題がありホームコースのアトランタ・アスレチックゴルフクラブがジョーンズの住居購入を援助しようとした際、アマ資格の問題で結局事業化であった祖父から100年ローンでお金を借りた経緯があります。
アマチュアでいるというだけでそれなりの苦労とそして名誉があるということ
少し話がそれてしまいましたが
我々はどうしても形式や形から入る感覚がありますがこれが敷居を高くしている可能性を否定できません!
もっと気楽に楽しむ事がゴルフの愉しみをより深める事になるとこの本を読んで感じた次第でございます!
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今日は、書籍の紹介!
というか本の中に書いてある面白いお話を一つご紹介したいと思いこの本を選択いたしました!
それは、練習場に巣くう悪魔の正体!というテーマです!
お話は、練習場での練習だけでゴルフは上手くなるか!
というテーマで、日本ゴルフの伝説的プロゴルファー 杉原輝雄プロと女子のプロゴルフ界をけん引している樋口久子プロの話が出ます!
もちろん練習場での練習でゴルフは上手くなると明言されております!
しかし話はそれでは終わりません!
「ただし最初が肝心!練習場の変な教え魔と遭遇したならば、悪い癖を直すだけで終わってしまう事があります!だれに教えてもらうか、ここが一番大切なポイントです。でも多くの人は無頓着に教え魔の浸入を許し、間違った事を教えられて進歩しないのが現状!」
そして教え魔の特徴に話が移ります!
教え魔とはフツ―のおじさん!
これが黒衣に身をまとって牙でもむき出していれば敬遠の方法もないわけではない!
ところが彼らは善意の押し売り気づかずにただひたすら、自分より1ミリでも下手な人間にアドバイスを試みるおせっかいな人なのである。
ゴルフ史上初のベストセラー、「ベストゴルフ」を書いた天才アーマーは、繰り返しの次のように述べています。
「スイングを教えるのは、小学生に憲法の全てを教えるより難しい事だ」
そしてあのジャック二クラウスでさえ、こう語っています。
「できる事ならゴルフは教えたくない。なぜって、ひとたび教えるからには最後まで責任を持つのが人の道。好んで責任を求めるほど私は酔狂じゃない」
やはりゴルフは初めが肝心です!!
これからゴルフを始める方は、Harada Golfにお越しください!
責任を持ってレッスンいたします!
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今日は書籍の紹介!
今のシニアで活躍している中嶋常幸プロの幼少期からプロゴルファーになるまでの過程を父親 中島巌氏の視点で描いた壮絶な物語でございます。
今の温和な中嶋プロとは、考えもしない世界、凄絶な練習が描かれています。
中嶋プロの父、中島巌氏のゴルフに対する考えの中には不可能を可能にする!ということがあります。
不可能へのチャレンジ!
そのためプロゴルファーとなる中島常幸プロと二人三脚が始まります。
そしてプロとして、ミスは許されない!
そのためには、まず400ヤードのドライバーショットが必要と考えました!
そうすれば、全てのミドルホールでワンオンすることができ、18ホール、18アンダーが可能!
よしんば上手くいかなくても半分の9アンダーは最低出せる。
4日で36アンダーである。
ざっと見渡したところ、36アンダーを出す人間は世界に誰もいない。
36アンダーは上手くいかなかったときのスコアだから、上手くいけば50アンダーくらいは出せる!
そのため壮絶なトレーニングが始まるのです!!
それでは最後にこの本のプロローグをご紹介しておきます!
「おーい!誰か来てくれ!!大変だ!」
私は、死に物狂いで叫んだ。
庭先の飛び石の上に常幸が冷たくなって倒れ込むのとほとんど同時だった。
「常幸、しっかりしろ、死ぬんじゃない!死ぬんじゃないぞ!!」
かすかに、常幸の眼が開いた。けれども、焦点の合わない、死人のそれのようであった。
「父さん、僕はまだ修行が足りないんだね。自分でなさけなくなってきた…」
その日の夕方、練習ラウンドから戻ってきた常幸は、いつになく打ちしおれた顔でポツンといった。スコアは乱れ、とてもタイトルを狙える状態ではなかった。
すると、突然彼はパンツ一枚になると、庭石の上で座禅を組み始めた。一月末の群馬はことのほか寒い。時として粉雪が舞っていた。
「この寒さだ、どうせ2,30分で音を上げるだろう」
そう思って、私はその場から立ち去った。
1,2,3時間、寒暖時計は零度を示し、今のもマイナスに下がろうとしていた。
「おい、常幸、もう風呂に入ったらどうだ。得心がいったろう」
「いや、もう少しだよ。もう少しこのままでいたいんだ...」
この時、強引にでもやめさせていればよかったのだ。
それから一時間。「自分の心と戦うことはいいことだ。でも無茶はいかん。身体を大切にしろよ。風呂に入って、ゆっくり疲れをとることだな。」
私はそういいながら、常幸の肩をたたいた。その肩は石より冷たかった。死人でさえ、もっと温度を感じるはずだ。
とその時、常幸の身体は急にバランスを失ったかのように、大きく揺れた。それは震えではない。頭からつんのめるように半円を描きながら地面に落ちて行った。死んだように、ピクリとも動かず倒れたままであった。
「誰か来てくれ!!」
弟、姉、妻 皆で死人のような、いや死人以上に冷たく、硬くなった常幸を家の中に運び入れた。
気絶状態の常幸がやっと目を開き、口をもぐもぐさせ始めたのは、30分たってからだろうか、一時間たってからだろうか。目もうつろで焦点があっていない。
そして常幸は言った。
「父さん...、僕まだ修行が足りない...、修行が...、自分が憎くて...」
常幸が全日本パブリック選手権を勝ったのは、この年の夏のことだった。
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