マリガンゴルフの由来

  • 2015年03月02日

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今日は、太平ゴルフセンターにてレッスンの予定でしたが天候が悪くセンター側がクローズになってしまい、急きょ休講となりました!!

そんなわけで暇になり今日は、マリガンゴルフの由来をご紹介いたします。

マリガンゴルフとは、朝一のティショットだけ一回試し打ちが出来る制度!!
身体が固くなっている朝のティショットは、誰でも緊張します。
そこで、一回だけ保険をかけれるのです。

その一打がОBでも、それを無効にする事が出来る世界のゴルファーにとって、とっても優しいルールでございます。

マリガンゴルフの由来をインターネットで調べると、「David Mulligan(人の名前)に由来。 ゴルフ好きのMr マリガンさんは著名なビジネスマン(多くのホテルを所有)で多忙な彼はいつも練習なしでスタートして行く、そこでゴルフ仲間は彼だけにスタートのティーショットが不満で有れば1回のみ打ち直しが出来る温情ルールを作ったのが始まり」と書いてあります。

しかし、摂津茂和の「ゴルフ千夜一夜」では違った見解を書いてあります。

マリガンゴルフについて、1920年代に活躍したトミー・アーマーはこう言っております。
「有名なマリガンが、いつ頃ゴルフ史に登場したか、また彼がなんびとであったか私は少しも知らない。私が子供であったころのスコットランドには、(アーマーはスコットランド人)、マリガンはなかった。もしわれわれがミスショットをすれば、それはいかなる場合でも1つのミスショットと数えたのだ。私はアメリカではじめてマリガンを知った時驚いた。私には、一度打ったショットを数えないという哲学がどうしても理解できなかった。だが、のちになって、やっと意味がわかった。つまり無考えなゴルファーに、今一度考えるチャンスを与えるのが目的だという事を」

そんななか、ロンドンで出版されたゴルフ評論家ドナルド・スチール編集の‘The Golfers Bedside Book‘のなかで、プロのピーター・アリスが、これまた次のような面白い昔話を紹介しています。

スコットランドのダンディにある市立ゴルフ倶楽部の古い会員に、リービー、マク二ッシュ、ブラウンという3人のスコットランド人とミリゲンというアイルランド人の医者がいて、毎週土曜日の午後2時36分から、4人でフォア・ボールのマッチをするしきたりになっていた。

ところが、ある日医者のミリゲン先生が、インフルエンザにかかって、ポックリ死んでしまった。
その葬式がすんだあとの最初の土曜日の午後に、例によって残りの3人が、ゴルフ倶楽部に集まったが、あいにくと土曜日の午後は、4人組でないとプレーできない規則になっていたので、3人はやむを得ず1計を案じて、死んだミリゲン先生を加えて、いつものように4人の名を書いてスターターに申し込んだ。

このスターターというのが第1次大戦で片腕と片眼をうしない、戦後、ダンディの地方議員をしていた義兄の世話で、ここのスターターに採用されたアンガス・クロードという人物です。

スコットランドのゴルフコースでは、たいていどこでも1番ホールのティーグラウンドのすぐそばに、昔の交番みたいな小さなスターター小屋があり、その中で、デスクに向かったスターターが、スタート名簿を観ながら、順番が来ると、小さな窓越しから一人ずつ声をかけます。

とくに土曜日の午後は、スターターの一番忙しい時で、しかも片腕、片目でなかなか大変でした。
しかも寒さしのぎに、デスクの下に隠したウイスキーでかなり酔っていました。
そんな中で3名はプレーに入ります。
スターターが
Mr.levy,Play away,please
と名前を呼びました。そして、リービーがティーショットをすると、つづいて
Mr.Mcnish,Play away,please 
と名前を呼びました。そしてマク二ッシュがティショットすると、つづいて
Mr.Brown,Play away,please 
と名前を呼びました。ところが、最後にどうしたわけか、ミリゲン先生の「Milligen」を読み違えて、
「Mr.Mulligan,Play away,please」と名前を呼びました。

多分、酔っぱらったせいでミリゲンマリガンとなったが3人はどうでもよかったのです。

その声に応じて、今打ったブラウンが、なにくわぬ顔をしながら、もう一度ボールをティアップして、ティショットしました。
もちろん、スターター小屋の小窓の中にいるスターターには気がつかなかったのです。
こうしてうまうまと4人組になりすました3人は、これに味をしめて、その後も土曜日には、3人のほかにマリガンの名を加えて申し込み、スターターがマリガンの名を呼ぶと、3人のうちの1人が、ティショットを2度することにしたというところでピーター・アリスの話は、ここで終っています。

一応、このマリガンの由来とネットに出ているデビッド・マリガンのお話を両方知っていて
損はないかと思います!!

でも、マリガンゴルフは忙しいサラリーマンや練習できなくていきなりティショットしなければいけないゴルファーには福音ではないでしょうか!!


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書籍の紹介 19番ホール 摂津茂和著

  • 2015年03月02日

今日は書籍の紹介です。
摂津茂和著 「19番ホール」
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ゴルフの歴史を知る上でこの本は必見!!
内容を全てご紹介したいところですがひとつだけにしておきます。

それは、ボギーの由来です。

ボギーとは、本来標準打数のことで、イギリスでは昔からこれを擬人化し、陸軍大佐の称号をつけて、コーネル・ボギーと呼んでいました。
 1890年の末ごろ、イングランドのコベントリー・ゴルフクラブのヒュー・ロザラムという会員が、各ホールの標準打数を割り出す事を考え付いたのです。というのものそれまでは、標準打数などなく、マッチプレーが主流だったので正しい数字がなかったという事です。

正確堅実な仮想プレーヤー正常な年功の元で、並はずれた長打力に寄らないで、打ち損じもなく、まぐれ当たりもなく、またグリーンではすべて2パットで納めるプレーをしたものと想定して3,4,5という標準打数を叩きだしました。

これを「グランド・スコア」と名付けて、これに対抗する競技(ストロークプレー)が行われました。

また、この競技は、会員たちの実力がはっきり分かって、公正なハンディキャップの査定に役立ったため他のゴルフ倶楽部もこれを聞き伝えて、それぞれ自分のコースの「グランド・スコア」を作って、まるで新しい流行を追うかのように、争って同じ競技を始めたのです。

ちょうどそのころ、ロンドンのミュージカル・ホールで「ボギーマン」という歌が大流行していました。ちなみにボギーマンとは、妖怪とか、恐ろしい人という意味です。

その頃、グレート・ヤ―マス・ゴルフ倶楽部の名誉書記トマス・ブラウン博士が一人の友人に、新しい競技方法をわかりやすく説明するために(何度も言いますが当時マッチプレーが主流)
「つまりグランド・スコアという想像上の恐るべき強敵を相手に競技することと思えばいいのさ」
というと、その友人が
「なるほど、そいつはまさにボギー・マンというわけだな」
と冗談にいった。
とたんにブラウン博士は、これは上手い名だと思って、早速グランド・スコアをボギー・スコアと呼ぶ事にした。

すると他の倶楽部も、この名が気に言って、たちまちみんながボギー・スコアと呼んだり、親愛をこめて、ミスター・ボギーと呼んだりしました。

さて翌1892年たまたまブラウン博士が、旅行の途中、ポーツマス軍港に近いユナイテッド・サービス・ゴルフ倶楽部の親しい友人のシーリー・バイダル陸軍大尉を訪ねた時の事です。
ブラウン博士から、はじめてボギー・スコアの説明を聞いたバイダル大尉は、ひどく感心して、倶楽部コースのボギー・スコアを作り、ミスター・ボギーの力量を試すために、3人がかりで1ラウンドの競技を行ったが、ついにこの仮想敵のスクラッチ・プレーヤーには、歯が立たなかったのです。

その夕刻、倶楽部の食堂で、3人が会食したとき、バイダル大尉がブラウン博士に、こう言いました。
「素晴らしいスクラッチ・プレーヤーのミスター・ボギーを紹介してくれて、誠にありがとう。我が倶楽部にも、是非ミスタ―・ボギーに入会してもらうことにするよ」
その時バイダル大尉は「しかし我が倶楽部では、将校の階級のないのないものには会員になれない規則があるが…」

すると、今度はブラウン博士がこう言いました。
「それならミスター・ボギーを適当な階級に任命すればよいではないか」
「なるほど、それはいい考えだ!!」

こうして、ミスターボギーの正確な技術はまさに連隊長の資格があるとして、陸軍大佐に任命することになり、次第にイギリスでは、コーネル・ボギーの愛称で呼ばれるようになったのです。

ゴルフの標準打数がPARというのはゴルファーだけではなく世界共通の認識であることは紛れもない事実であります。

しかし、じつはそうではなく昔、1世紀前のイギリスではパーではなくボギーが標準打数であったのです!

つけ加えておくと、1912年ゴルフ立法の府ロイヤル・アンド・エンシェントゴルフ倶楽部は、ボギー・スコアを正式の標準打数と認め、同時にアゲンスト・ボギー競技を正式のゴルフ競技種目の1つとして認めました。
今日パーより1つ多い打数をボギーというのは、戦後急増したアメリカの無知な大衆ゴルファーが、本来の意味を間違えて使いだしたたと書き終えております。


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ゴルフクラブの発展の歴史

  • 2015年03月02日

今日は、朝のレッスンが終わった後、暇なのでゴルフの歴史を落書き程度にブログにて書いておきます!

ゴルフがなぜイギリスのスコットランドの東海岸に沢山あるのか!
あのセント・アンドリュース、ノースバーウィック、マッセルバラ、カ―ヌスティー、名だたるゴルフクラブがスコットランドの東海岸に点在しております。
一説その①
それはオランダのコルベンという氷上でターゲットに向かってボールを打つゴルフの起源ともいうべきスポーツから始まり、道具をオランダから輸入したところからきていると考えられております。

一説その②
100年戦争(1337年から1453年)
イングランドとスコットランドの戦争
毛織物の産地でフランス寄りだったフランダース(今のベルギーとオランダの中間)と北フランスにあったイングランドの領地の争奪戦がありました。

スコットランドとフランスは同盟関係にあります
そしてフランダースとスコットランドとの交流こそがゴルフに繋がると考えられております。
フランダースにはゴルフに似たクロスカントリーゲーム コールというスポーツがありスコットランドのゴルフと融合したと考えられます。
どちらもオランダやフランス付近からの交流できるスコットランドの東海岸の地形、道具の輸入などいろいろな要因からスコットランドの東海岸(セント・アンドリュースなど)でゴルフが発展したと考えられます。

そしてこの戦争のつづいた地域だからこそ、そこから道具の発展に繋がります。

1502年スコットランド ジェームス4世はパースの弓師にクラブの代金を払うという文献が残っております。

そして1628年、モンローズ公に弓師がクラブを献上しております。

1707年 イングランドとスコットランドが連合を組みます!

ようするに戦争がなくなるのです。戦争がなくなれば、矢羽職人や弓商が職を失います。
そこで、ゴルフクラブに目をつけるのです。
それは、木質の弾力性、ねじれを知り抜いた職人だとクラブ職人の転業は容易なのです。
オランダなどではじまったコルベン(ゴルフに似た競技)で使われた粗製な農具などであれば到底、今日の隆盛はありえなかったと考えます。

という事で、終わりです(^-^)


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書籍の紹介 王者のゴルフ 夏坂 健著

  • 2015年03月02日

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今日は書籍の紹介!
私の大好きの本をご紹介致します
この本は、皆さんがいつも接しているゴルフとは違うもう一つのゴルフを教えてくれます。
ゴルフの成り立ち、ゴルフのバックボーンを理解することが必須であるゴルフ教師として、この本は教本、指南書というものであると思っております!

この中に和製ゴルフ用語について書いております。
というのも歴史学者でゴルフ狂、トーマス・バルフォア氏によると、
15世紀ごろから使われてきた言葉の中には、ゲーリックにあらず、ケルトにあらず、おそらく人的交流のあったオランダ、フランス、アイスランド、デンマーク、ベルギー、ノルウェーといった「言葉の小片(ピース)」が、やがてゴルフに紛れ込んだとしか思えないものが少なくないと教授はいっております。

かつて、スコットランドは四面楚歌に囲まれて戦火が絶えなかった。やがてゴルフは宿敵イングランドにも広がったが、たとえ憎っくき敵国のゲームであっても、古くからの伝統に敬意を払い、誰一人としてゴルフ用語に手は触れていないのある。

ところが、宿敵イングランドでさえ敬意を払ってきた文化遺産が、なんと日本で無残にも破壊されてしまったと筆者が言っております。

たとえば、ミドルホール!
正しくは、「ツーショットホール」、「ツーショッタ―」!
あまりにもみっともないので、ゴルフ中継のアナウンサーに注意したところ、次の日の放送で「さて、いよいよ問題のミーディアムホールにやってきました」

ほかには、クロスバンカー
どこにもフェアウェイで交叉(クロス)していない!!
どこであろうとも、あれは全部バンカーである!!

バルフォア教授のいう「神物冒涜」はつづく
そもそも「パー4のホール」も慣例に屈服しての事!正確には「パー」も間違いだ!
ホールに標準打数が決められたのは1890年のこと(それまではマッチプレーが主流)
イギリスではスタンダード・スクラッチ・スコア、略してSSSと呼ばれる。
パーはアメリカの造語で、本来は「ボギー大佐」にコースをなぞらえて、ボギーが標準打数だった(このいきさつをお話しすると長くなるので今度ブログにてご紹介いたします)

しかしアメリカがかってに基準打数をパーにしてしまったのである。

ゴルフ用語は文化遺産である
最後に教授は、こう書いております
「たとえばティ(Tee)という言葉がある。その昔、ケルト族の女は男の気をひくため、そっと彼の腕をティ(つねる)して頬を染めたものだった。ゲーリック時代になると、女たちは野いちごをティ(つまむ)してジャム作りに精を出した。やがて太古のゴルファーたちは、砂や草を指先で小さくティ(つまみ上げる)してボール乗せると、そこからゲームを始めたのだった。ティの一語に1000年の歴史が宿ると言って過言ではなかろう。ゴルフ用語とは、かくも畏敬すべきものなり。」


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