摂津茂和著 ベッドで読むゴルフの本から セントアンドリュースの魅力

  • 2015年07月02日

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今日は久しぶりに書籍の紹介!

摂津茂和著 ベッドで読むゴルフの本からセントアンドリュース オールドコースについての記述でございます。

というのも7月に開催される全英オープンはそのオールドコースです!
ゴルフ発祥の地と言われるスコットランドのセントアンドリュースで行われる5年に一度はこの地で開催されます。

この本ではオールドコースについて色々な逸話を交え説明しております。

そのむかし北海からの強風と荒波によって海底の砂が盛り上げられてできた砂丘で、それが次第に壮大な草原となってできた天然のコースであるオールドコースは、太古の昔は12ホールしかありませんでした!

一直線のコースはラストホールを終えると、そのまま歩いて引き返したといわれるおります。

そして1759年ごろその不便をなくすためラストホールをおえると、そこから折り返して、同じフェアウェイと同じグリーンを使って、元の起点に戻る22ホールに改められました。

ゴーイングアウト カミングイン の始まりでございます。

今のoutコース inコースの始まりはここからきております。

18ホールというスタイルになったのは1764年最初の4ホールを2ホールにまとめ、往復での4ホールを縮小する事で、全体を18ホールにし今の形となったといわれております。

2009年私もセントアンドリュースに行きました!
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摂津茂和氏は
オールドコースは、通常の人工の内陸コースの造園的な美しさや、型にハマった公式的な設計を見慣れたものには、最初はきわめて悪い印象を与えるが、もし謙虚に玩味すれば、次第にこのコースの持つ深い精神を理解する事ができるといっております。

それは数多くの名プレーヤーのこのコースに対する畏敬の念を込めた回想からもわかります

あの球聖ボビージョーンズはこう語っております

1921年の全英オープンで、始めてオールドコースでプレーしたとき、私はイギリスの友人たちがなぜここを礼讃するのか、その理由がどうしてもわからなかった。私はここを私の知る限りでは一番悪いコースの一つだと考え、危うくここを侮辱したい気持さえ起きたくらいだった

その後私はこのコースが好きになれるように努力しようと決心して、1926年にふたたびここを訪れたのだ。ところが、対して努力を払うまでもなく、私は2ラウンド茂プレーしないうちに、ここがたまらなく好きになった。

このオールドコースの魅力はなんといっても風とアンジュレーション

南アフリカの伝説のプレーヤー ボビーロックはこう語っております
「ここでは風の変化が毎日コースを違ったものにする。私がプレーした時には、最初の7ホールが逆風で次の4ホールが追い風となり、12番では再び逆風となり、つづく7ホールが逆風であったが、時によると18ホール全部が逆風となる事さえある」

またアメリカのゴルフ評論家 バーナード・ダーウィンは
「オールドコースは距離から言えばそんなに難しくはないが、それでもコースの女王と呼ばれるのはその独特な風の為だ」とかいてあります。

このようにアンジュレーションと風が、オールドコースの性格をいっそう神秘的にさせ、謎のごとく解き難く思わせるのであって、このむかしから、ここだけは「ゴルフコースのモナ・リザ」と呼ばれているそうです。

そしてその全世界のゴルファーが注目する全英オープンは7月16日に始まります。

そして今大会の目玉はなんといってもジョーダン・スピースです。

年間グランドスラムという偉業は、マスターズ、全米オープン、そしてこの全英オープンを勝たなければなりません!

そしてもう一つ注目のHARADA杯記念コンペは7月11日(土)13:00スタートです。

HARADAGOLFイベント情報
7月4日(土)
夕暮れ9ホールラウンドレッスン
1名空きがあります

7月15日(水)
月例ラウンド研修会
あと3名空きがあります


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第8回連載 スコットランドのリンクス

  • 2015年04月19日

絶壁バンカー
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絶壁バンカーその2
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ハーフを終えて一服
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第8回連載
スコットランドのリンクス

さあ、夢のターンベリー・エイルサコースのプレーです。
 
朝はとんでもない嵐で誰もラウンドしていません。我々しかプレイヤーがいなかったと記憶しております。

 希望ではキャディーを雇ってプレーしたかったのですが、どうさ英語も通じないし話す勇気もなかったので、担いでプレーする決心をしました。
 
カートにゴルフクラブを積んで運転しながらのゴルフが増えている昨今、歩いて自らバックを担ぐゴルフはどのようなものでしょうか。
 
イギリスとアメリカでのゴルフの論争にゴルフカートの導入があります。アメリカは合理主義の国です。カートでプレーすれば早いし楽だということです。しかしイギリスはカートでゴルフすることに反対したそうです。大地を歩き自分でバックを担ぎプレーする姿がこのリンクスでは本当に絵になります。
 
私もこのリンクスのコースに降り立ち歩いてみてそう思いました。なんせバンカーは崖のような断崖絶壁!!運転を誤ってカートでバンカーに落ちたらひとたまりもありません。
 
話がそれてしまいましたがヤーデージブックを片手にキャディーバックを担ぎながらのゴルフはジュニア時代を思い出す新鮮なものでした。さてコースのコンディションは風は南から北への猛烈な風、さらに叩きつけるような雨です。ラフはうねるように生えていてからみつくような芝です。そしてバンカーはスコットランドのリンクスコース特有のポットバンカーで、入ったら出すだけでも納得しなければならない深さです。
 
さあ一番ホールのティショットです。ウォームアップもできずにいきなり私はDWで打ちましたがイメージトレーニングだけはこの旅行中していたのでアゲンストの中フェアウェイに打つ事が出来ました。
 
しかしセカンドショットで早くもリンクスの風の洗礼を受けます。123ヤードのアゲンストで5Wを短く持ち打ち抜いたボールは若干スライススピンがかかりそのまま右の深いラフの中に入りました。
 
私は一応暫定球を打ちましたがまたもやスライスがかかり、またラフの中!しかも2球とも届いていないのでありませんか!!
 
123ヤードを5Wでとどかないとは!
 
結局5Iで刻む事してもう1球打ち、グリーンの狙えるベストポジションに落としたのです。初めに打ったボールを探しましたが深いラフで見つかりません。ロストボールです。

結局このホールは9も叩いてしまい予想以上のヘビーなコースに武者震いが止まりませんでした。(ただ寒かっただけかもしれませんが)


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第7回 連載 Turnberryの歴史

  • 2015年04月19日

ターンベリークラブハウス
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12番ホール慰霊碑
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第7回 Turnberryの歴史

 ここで軽くターンベリー・エイルサコースの歴史を書いておきましょう。このコースは1903年開場し9番ホールと10番ホールの近くにある灯台が有名です。そして去年(2009年)の全英オープンのコースとして有名ですが開催の歴史は浅く1977年から始まって歴代優勝者を見るとそうそうたる顔ぶれです。
 
1977年はトム・ワトソン(トム・ワトソンとジャック・二クラウスの死闘で有名)。
1987年はグレッグ・ノーマン(メジャー初優勝)。1994年はニック・プライス、そして2009年は、スチュワート・シンクがトム・ワトソンとプレーオフの末優勝をしたのは
記憶の新しいところです。
 
1860年から始まっている全英オープンにおいてこのような素晴らしいコースが1977年まで開催できなかったのには理由があります。
 
それは2度の大戦でイギリス航空隊の訓練飛行場として改造された歴史があるからなのです。第1次大戦ではジェームズ・ブレイドがそして第2次大戦後ではマッケンジー・ロスが修復しイギリス屈指のチャンピオンコースに作り上げました。
 
とくに第2次大戦後は手の施しようがないほど荒れ果てていたそうです。マッケンジー・ロスはこのターンベリー出子供のころキャディーをしていて全てコースのレイアウトを覚えていることから白羽の矢が立ったそうです。
 
彼は、12番ホールの小高い丘の上にここから飛び立って戻る事が出来なかった若者の為に記念碑を建てました。
 
そこにはこう書いています。「祖国の名誉を守るため、諸君はターンベリーのコースから飛び立ち、ここ12番ホールに戻るはずだった。我々は君たちの勇気を忘れない。」
 
私たちは明日このコースでラウンドするのです。


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連載 6回目 ようやくターンベリーへ

  • 2015年04月19日

ど田舎の暗闇に煌々と輝くターンベリーのホテル
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ホテルの裏側の夜
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ホテルの裏側の昼間

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ホテルのロビー
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ホテルのバー(ここでウイスキーの飲みました!似合うような貫禄がほしい(^_^;))
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ハイランド・ドレスを着たホテルマン
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6回目
ようやくターンベリーに!

 真っ暗の田舎道をターンベリーに向けて車を走らせていると、天気は大雨ととてつもない風が吹いている中、やはり洪水の為ターンベリーの道路が封鎖されていました。
 
でももはや進むしかありません。違う道を突き進みカーナビを信じて走り続け、そしてついにターンベリーに到着し、さあここからが本番!看板を探しゴルフ場とホテルを探さなければなりません。
 
日本のゴルフ場のように看板を期待していた自分が馬鹿に思えてなりませんでした。車を止めては走り、走っては車を止めて捜してはみるものの真っ暗闇で何も見えません。そんな中大きな看板が見えました。ターンベリーホテル&ゴルフという看板です!!
 
看板に従い私たちが向かった先にそびえ立つのは煌々とライトアップされたターンベリーホテルでした。
 
チェックインをしてあの有名なタータンチェックのスカートをはいているハイランド・ドレスという民族衣装を着た男の方に荷物を部屋まで持ってもらい、まだ食事を済ませていなかったのでホテルのレストランで食事をし、明日8時50分にプレーする予約をしました。
 
ついに明日、ターンベリー・エイルサコースでのプレーが実現するのです。この旅の最大の目標ともいえるゴルフを明日プレーする期待感でまたもや眠れませんでした。(このままだと寝不足ですね)


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