書籍の紹介 鬼才 戸田藤一郎の生涯 「右手」

  • 2015年03月02日

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今日は書籍の紹介です!

「右手」鬼才・戸田藤一郎の生涯  早瀬利之著

日本の戦前戦後に活躍したパンチショット、鬼のトイチと呼ばれた伝説のプロゴルファーです。

全盛期の昭和13年~15年にかけて日本プロ3連勝、日本オープン、関西オープンを制して年間グランドスラムを達成します。

広野ゴルフクラブの練習場で200ヤード先の松を来る日も来る日も何万発も4番アイアンで打ちこみ、枯らしたのはあまりのも有名な話です!

この凄絶な練習は当時、日本のトップに君臨していた宮本留吉に勝つというただそれだけの為に!!

こうした練習ぶりは彼の死後までわからないままでした。
「わしは、天才と呼ばれるのが大嫌いや!天才なもんか。天才は留はんや。わいは努力型の男や。みんなが眠っている時にそっと床を離れ、気づかれんうちに練習し、またそっと床に入り、そして、また早く起きてボールをかき集めに行く。そんな努力をしたからこそ、ええ球が打てたんや」

そんな戸田も昭和23年プロ資格はく奪されます。女性問題や金銭問題ではありましたが、これによりトーナメントは出入り禁止、そしてレッスンプロとしても資格を奪われました。
収入の道が途絶え、これから生まれる子供の為、ギャンブルや、客との賭けゴルフで生活費を稼ぎました。

昭和34年にプロと復帰した戸田は昭和38年に日本オープンを制し、復活を遂げ昭和46年の関西プロで、当時無敵の杉原輝雄を59歳の戸田が破った試合は、今も語り草となっております。

戸田の晩年は、オープンしない阿古谷ゴルフ場建設に名を貸したばかりに入会者から責任を問われ、住む場所を転々と移りながら身を隠し、その頃知り合った女性と2人で食べるため「藤十郎」という蕎麦屋の主人となり、試合にも出ずそばを打ちづつけました。

この壮絶なゴルフ人生を送った戸田藤一郎のスイングの信念は、本の題名のとおり「右手をしっかり使え」です。
「人間の手は、大きく使わなあかん」「ゴルフはピストン作用だ。右に引いて、左へぶつける。その時の爆発力が飛距離を生むのや。力やない、爆発力や」「器用な右手を使わんのはアホや。右手使って初めてパワーが生きる」

戸田の流れは、その後のプロゴルファーに数多くの影響を与えます。青木功、金井清一、ジャンボ尾崎とその流れは現代へと受け継がれているといっても過言ではありません。


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