息子・中島常幸のゴルフ 中島 巌

  • 2015年03月02日

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今日は書籍の紹介!

今のシニアで活躍している中嶋常幸プロの幼少期からプロゴルファーになるまでの過程を父親 中島巌氏の視点で描いた壮絶な物語でございます。

今の温和な中嶋プロとは、考えもしない世界、凄絶な練習が描かれています。

中嶋プロの父、中島巌氏のゴルフに対する考えの中には不可能を可能にする!ということがあります。
不可能へのチャレンジ!
そのためプロゴルファーとなる中島常幸プロと二人三脚が始まります。

そしてプロとして、ミスは許されない!

そのためには、まず400ヤードのドライバーショットが必要と考えました!
そうすれば、全てのミドルホールでワンオンすることができ、18ホール、18アンダーが可能!
よしんば上手くいかなくても半分の9アンダーは最低出せる。
4日で36アンダーである。
ざっと見渡したところ、36アンダーを出す人間は世界に誰もいない。
36アンダーは上手くいかなかったときのスコアだから、上手くいけば50アンダーくらいは出せる!

そのため壮絶なトレーニングが始まるのです!!

それでは最後にこの本のプロローグをご紹介しておきます!

「おーい!誰か来てくれ!!大変だ!」
私は、死に物狂いで叫んだ。
庭先の飛び石の上に常幸が冷たくなって倒れ込むのとほとんど同時だった。
「常幸、しっかりしろ、死ぬんじゃない!死ぬんじゃないぞ!!」

かすかに、常幸の眼が開いた。けれども、焦点の合わない、死人のそれのようであった。

「父さん、僕はまだ修行が足りないんだね。自分でなさけなくなってきた…」
その日の夕方、練習ラウンドから戻ってきた常幸は、いつになく打ちしおれた顔でポツンといった。スコアは乱れ、とてもタイトルを狙える状態ではなかった。

すると、突然彼はパンツ一枚になると、庭石の上で座禅を組み始めた。一月末の群馬はことのほか寒い。時として粉雪が舞っていた。

「この寒さだ、どうせ2,30分で音を上げるだろう」
そう思って、私はその場から立ち去った。

1,2,3時間、寒暖時計は零度を示し、今のもマイナスに下がろうとしていた。
「おい、常幸、もう風呂に入ったらどうだ。得心がいったろう」

「いや、もう少しだよ。もう少しこのままでいたいんだ...」

この時、強引にでもやめさせていればよかったのだ。

それから一時間。「自分の心と戦うことはいいことだ。でも無茶はいかん。身体を大切にしろよ。風呂に入って、ゆっくり疲れをとることだな。」

私はそういいながら、常幸の肩をたたいた。その肩は石より冷たかった。死人でさえ、もっと温度を感じるはずだ。
とその時、常幸の身体は急にバランスを失ったかのように、大きく揺れた。それは震えではない。頭からつんのめるように半円を描きながら地面に落ちて行った。死んだように、ピクリとも動かず倒れたままであった。
「誰か来てくれ!!」

弟、姉、妻 皆で死人のような、いや死人以上に冷たく、硬くなった常幸を家の中に運び入れた。

気絶状態の常幸がやっと目を開き、口をもぐもぐさせ始めたのは、30分たってからだろうか、一時間たってからだろうか。目もうつろで焦点があっていない。

そして常幸は言った。

「父さん...、僕まだ修行が足りない...、修行が...、自分が憎くて...」

常幸が全日本パブリック選手権を勝ったのは、この年の夏のことだった。


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