書籍の紹介 19番ホール 摂津茂和著

  • 2015年03月02日

今日は書籍の紹介です。
摂津茂和著 「19番ホール」
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ゴルフの歴史を知る上でこの本は必見!!
内容を全てご紹介したいところですがひとつだけにしておきます。

それは、ボギーの由来です。

ボギーとは、本来標準打数のことで、イギリスでは昔からこれを擬人化し、陸軍大佐の称号をつけて、コーネル・ボギーと呼んでいました。
 1890年の末ごろ、イングランドのコベントリー・ゴルフクラブのヒュー・ロザラムという会員が、各ホールの標準打数を割り出す事を考え付いたのです。というのものそれまでは、標準打数などなく、マッチプレーが主流だったので正しい数字がなかったという事です。

正確堅実な仮想プレーヤー正常な年功の元で、並はずれた長打力に寄らないで、打ち損じもなく、まぐれ当たりもなく、またグリーンではすべて2パットで納めるプレーをしたものと想定して3,4,5という標準打数を叩きだしました。

これを「グランド・スコア」と名付けて、これに対抗する競技(ストロークプレー)が行われました。

また、この競技は、会員たちの実力がはっきり分かって、公正なハンディキャップの査定に役立ったため他のゴルフ倶楽部もこれを聞き伝えて、それぞれ自分のコースの「グランド・スコア」を作って、まるで新しい流行を追うかのように、争って同じ競技を始めたのです。

ちょうどそのころ、ロンドンのミュージカル・ホールで「ボギーマン」という歌が大流行していました。ちなみにボギーマンとは、妖怪とか、恐ろしい人という意味です。

その頃、グレート・ヤ―マス・ゴルフ倶楽部の名誉書記トマス・ブラウン博士が一人の友人に、新しい競技方法をわかりやすく説明するために(何度も言いますが当時マッチプレーが主流)
「つまりグランド・スコアという想像上の恐るべき強敵を相手に競技することと思えばいいのさ」
というと、その友人が
「なるほど、そいつはまさにボギー・マンというわけだな」
と冗談にいった。
とたんにブラウン博士は、これは上手い名だと思って、早速グランド・スコアをボギー・スコアと呼ぶ事にした。

すると他の倶楽部も、この名が気に言って、たちまちみんながボギー・スコアと呼んだり、親愛をこめて、ミスター・ボギーと呼んだりしました。

さて翌1892年たまたまブラウン博士が、旅行の途中、ポーツマス軍港に近いユナイテッド・サービス・ゴルフ倶楽部の親しい友人のシーリー・バイダル陸軍大尉を訪ねた時の事です。
ブラウン博士から、はじめてボギー・スコアの説明を聞いたバイダル大尉は、ひどく感心して、倶楽部コースのボギー・スコアを作り、ミスター・ボギーの力量を試すために、3人がかりで1ラウンドの競技を行ったが、ついにこの仮想敵のスクラッチ・プレーヤーには、歯が立たなかったのです。

その夕刻、倶楽部の食堂で、3人が会食したとき、バイダル大尉がブラウン博士に、こう言いました。
「素晴らしいスクラッチ・プレーヤーのミスター・ボギーを紹介してくれて、誠にありがとう。我が倶楽部にも、是非ミスタ―・ボギーに入会してもらうことにするよ」
その時バイダル大尉は「しかし我が倶楽部では、将校の階級のないのないものには会員になれない規則があるが…」

すると、今度はブラウン博士がこう言いました。
「それならミスター・ボギーを適当な階級に任命すればよいではないか」
「なるほど、それはいい考えだ!!」

こうして、ミスターボギーの正確な技術はまさに連隊長の資格があるとして、陸軍大佐に任命することになり、次第にイギリスでは、コーネル・ボギーの愛称で呼ばれるようになったのです。

ゴルフの標準打数がPARというのはゴルファーだけではなく世界共通の認識であることは紛れもない事実であります。

しかし、じつはそうではなく昔、1世紀前のイギリスではパーではなくボギーが標準打数であったのです!

つけ加えておくと、1912年ゴルフ立法の府ロイヤル・アンド・エンシェントゴルフ倶楽部は、ボギー・スコアを正式の標準打数と認め、同時にアゲンスト・ボギー競技を正式のゴルフ競技種目の1つとして認めました。
今日パーより1つ多い打数をボギーというのは、戦後急増したアメリカの無知な大衆ゴルファーが、本来の意味を間違えて使いだしたたと書き終えております。


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