
今日は、HaradaGolfレッスンカルテをご紹介いたします。
HaradaGolfでは、大体1年から、半年程度のレッスンデータがたまるとそのデータをもとにレポートを作成し、それを生徒さんに差し上げるサービスを行っております。
レッスンで何を直し、何を学んだかを意外と理解していない生徒さんが多いのでデータをもとに今までのレッスンの内容を復習していただくと理解度が深まります。
上の写真は、スイングプレーンを意識して練習してもらうために書きました。
青のラインと赤のラインの間を通るクラブの動きをいつもレクチャーしております。
ドライバーが得意な方は青のラインにクラブを入れるのが上手で
アイアンが得意な方は赤のラインの近くからクラブを入れるのが上手な傾向があります。
逆にいえば、ドライバーで赤のラインからクラブが降りてくるとスライスボールが出やすいし、アイアンで青のラインより下からクラブが降りてくるとダフリや引っかけボールが多くなってしまいます。
自分が赤のライン寄りなのか青のライン寄りなのかを理解したうえでスイングプレーンを学ぶと理解度が深まります!!
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今日は書籍の紹介です。
摂津茂和著 「19番ホール」

ゴルフの歴史を知る上でこの本は必見!!
内容を全てご紹介したいところですがひとつだけにしておきます。
それは、ボギーの由来です。
ボギーとは、本来標準打数のことで、イギリスでは昔からこれを擬人化し、陸軍大佐の称号をつけて、コーネル・ボギーと呼んでいました。
1890年の末ごろ、イングランドのコベントリー・ゴルフクラブのヒュー・ロザラムという会員が、各ホールの標準打数を割り出す事を考え付いたのです。というのものそれまでは、標準打数などなく、マッチプレーが主流だったので正しい数字がなかったという事です。
正確堅実な仮想プレーヤー正常な年功の元で、並はずれた長打力に寄らないで、打ち損じもなく、まぐれ当たりもなく、またグリーンではすべて2パットで納めるプレーをしたものと想定して3,4,5という標準打数を叩きだしました。
これを「グランド・スコア」と名付けて、これに対抗する競技(ストロークプレー)が行われました。
また、この競技は、会員たちの実力がはっきり分かって、公正なハンディキャップの査定に役立ったため他のゴルフ倶楽部もこれを聞き伝えて、それぞれ自分のコースの「グランド・スコア」を作って、まるで新しい流行を追うかのように、争って同じ競技を始めたのです。
ちょうどそのころ、ロンドンのミュージカル・ホールで「ボギーマン」という歌が大流行していました。ちなみにボギーマンとは、妖怪とか、恐ろしい人という意味です。
その頃、グレート・ヤ―マス・ゴルフ倶楽部の名誉書記トマス・ブラウン博士が一人の友人に、新しい競技方法をわかりやすく説明するために(何度も言いますが当時マッチプレーが主流)
「つまりグランド・スコアという想像上の恐るべき強敵を相手に競技することと思えばいいのさ」
というと、その友人が
「なるほど、そいつはまさにボギー・マンというわけだな」
と冗談にいった。
とたんにブラウン博士は、これは上手い名だと思って、早速グランド・スコアをボギー・スコアと呼ぶ事にした。
すると他の倶楽部も、この名が気に言って、たちまちみんながボギー・スコアと呼んだり、親愛をこめて、ミスター・ボギーと呼んだりしました。
さて翌1892年たまたまブラウン博士が、旅行の途中、ポーツマス軍港に近いユナイテッド・サービス・ゴルフ倶楽部の親しい友人のシーリー・バイダル陸軍大尉を訪ねた時の事です。
ブラウン博士から、はじめてボギー・スコアの説明を聞いたバイダル大尉は、ひどく感心して、倶楽部コースのボギー・スコアを作り、ミスター・ボギーの力量を試すために、3人がかりで1ラウンドの競技を行ったが、ついにこの仮想敵のスクラッチ・プレーヤーには、歯が立たなかったのです。
その夕刻、倶楽部の食堂で、3人が会食したとき、バイダル大尉がブラウン博士に、こう言いました。
「素晴らしいスクラッチ・プレーヤーのミスター・ボギーを紹介してくれて、誠にありがとう。我が倶楽部にも、是非ミスタ―・ボギーに入会してもらうことにするよ」
その時バイダル大尉は「しかし我が倶楽部では、将校の階級のないのないものには会員になれない規則があるが…」
すると、今度はブラウン博士がこう言いました。
「それならミスター・ボギーを適当な階級に任命すればよいではないか」
「なるほど、それはいい考えだ!!」
こうして、ミスターボギーの正確な技術はまさに連隊長の資格があるとして、陸軍大佐に任命することになり、次第にイギリスでは、コーネル・ボギーの愛称で呼ばれるようになったのです。
ゴルフの標準打数がPARというのはゴルファーだけではなく世界共通の認識であることは紛れもない事実であります。
しかし、じつはそうではなく昔、1世紀前のイギリスではパーではなくボギーが標準打数であったのです!
つけ加えておくと、1912年ゴルフ立法の府ロイヤル・アンド・エンシェントゴルフ倶楽部は、ボギー・スコアを正式の標準打数と認め、同時にアゲンスト・ボギー競技を正式のゴルフ競技種目の1つとして認めました。
今日パーより1つ多い打数をボギーというのは、戦後急増したアメリカの無知な大衆ゴルファーが、本来の意味を間違えて使いだしたたと書き終えております。
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今日は2012年最後のレッスンでした。
会場はエムアールゴルフセンターです。
12月の忙しいの中、沢山の方々が受講していただきました。
今年1年を振り返ってみると新しい事へのあくなき挑戦というのはとても大事だと思いました。
まず、2月から始めたこのブログ式のホームページです。
ツイッタ―とフェイスブックとYouTubeと連動していて、ブログを更新すると自動的に投稿するというシステムです。
いろいろな方々との情報交換からより良い情報を取り入れることで仕事、プライベートとかなり充実した毎日を送る事が出来るようになりました。
そして、ダンロップと契約を結びゴルフ用品の販売もはじめました。道具に関しては新たな挑戦でしたが、1年通して考えてみると皆さん道具を変える事により飛距離アップやアイアンの精度の向上、アプローチによるパーセーブ率の向上などなど、ギアを変えると色々な意味で進歩と進化が期待できるという事がわかりました!!
そして、携帯電話を折りたたみ式からスマートフォンに変え、アプリを駆使したレッスンにも挑戦しました。
初め、指が筋肉痛になりましたが、徐々に慣れて今ではなんとスマホのブラインドタッチまでできるに至りました!!
やはり、保守と革新の両立!!
既存のものを残しつつ、革新への気持ちを忘れずに前へ前へ進む事が重要なのです。
2012年 年表
1月 ダンロップスポーツと正式契約

2月 ブログ式ホームページを開始(フェイスブック&ツイッタ―&YouTubeにて動 画を配信)
3月 携帯電話をiphoneに変える!!(アプリを駆使してレッスン)
4月 ラウンドレッスン開始

5月 HARADA GOLF春のコンペをオークウッドにて(優勝は新海さん)

6月 ドラコンチームの方々の練習に参加

7月 ドラコン北海道大会 予選敗退(来年こそは!!)

8月
9月 HARADA GOLF秋のコンペをシェークスピアにて(優勝者は谷口さん)

10月 スリクソンブランドの新作Zシリーズの発売

11月
12月 ゼクシオフォージド&ゼクシオプライムの新作の発売
HARADA GOLF忘年会

そして来年はHARADA GOLFも5周年となります
これからも皆様のゴルフをサポートしながら成長していきます!!
皆さん今年一年ありがとうございました!!
そして来年も宜しくお願い致します!!
ちなみにこのブログは2012年中まだ更新したいと思っています。
では!!
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今日は、朝のレッスンが終わった後、暇なのでゴルフの歴史を落書き程度にブログにて書いておきます!
ゴルフがなぜイギリスのスコットランドの東海岸に沢山あるのか!
あのセント・アンドリュース、ノースバーウィック、マッセルバラ、カ―ヌスティー、名だたるゴルフクラブがスコットランドの東海岸に点在しております。
一説その①
それはオランダのコルベンという氷上でターゲットに向かってボールを打つゴルフの起源ともいうべきスポーツから始まり、道具をオランダから輸入したところからきていると考えられております。
一説その②
100年戦争(1337年から1453年)
イングランドとスコットランドの戦争
毛織物の産地でフランス寄りだったフランダース(今のベルギーとオランダの中間)と北フランスにあったイングランドの領地の争奪戦がありました。
スコットランドとフランスは同盟関係にあります
そしてフランダースとスコットランドとの交流こそがゴルフに繋がると考えられております。
フランダースにはゴルフに似たクロスカントリーゲーム コールというスポーツがありスコットランドのゴルフと融合したと考えられます。
どちらもオランダやフランス付近からの交流できるスコットランドの東海岸の地形、道具の輸入などいろいろな要因からスコットランドの東海岸(セント・アンドリュースなど)でゴルフが発展したと考えられます。
そしてこの戦争のつづいた地域だからこそ、そこから道具の発展に繋がります。
1502年スコットランド ジェームス4世はパースの弓師にクラブの代金を払うという文献が残っております。
そして1628年、モンローズ公に弓師がクラブを献上しております。
1707年 イングランドとスコットランドが連合を組みます!
ようするに戦争がなくなるのです。戦争がなくなれば、矢羽職人や弓商が職を失います。
そこで、ゴルフクラブに目をつけるのです。
それは、木質の弾力性、ねじれを知り抜いた職人だとクラブ職人の転業は容易なのです。
オランダなどではじまったコルベン(ゴルフに似た競技)で使われた粗製な農具などであれば到底、今日の隆盛はありえなかったと考えます。
という事で、終わりです(^-^)
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